
しかし、映画というのはそう簡単に壊せるようなものではない。映画には映画の歴史や伝統や文法というものがある。
映画を壊したいなら、一度はそれを自分のものとした上で、そこから型を崩さなければいけない。新参者がいきなり奇をてらったことをやっても、それだけでは新しいものを生み出すことはできない。
松本はお笑いでは「できてしまう」タイプ
逆に言うと、お笑いという分野においては、松本はなぜか最初からそれが「できてしまう」タイプの人間だった。ダウンタウンの漫才は、デビュー当初から島田紳助や喜劇作家の香川登志緒などの業界人には高く評価されていた。松本の芸は初めから完成されていたのだ。
たけしもまた、お笑いという分野においては不世出の天才である。そして、松本と違って、映画に関してもたけしは「できてしまう」タイプだった。
彼の初監督作品『その男、凶暴につき』は、もともと深作欣二監督作として企画されていたが、スケジュールの都合で実現せず、急きょたけしが監督を任されることになった。
ひょんなことから舞い込んできた映画監督の仕事で、たけしは見事に結果を出し、ここから本格的に映画製作に乗り出すことになった。
万能の天才と一芸の天才
たけしは「俺は十種競技のチャンピオンだと思う」とたびたび語っている。漫才、コント、タレント業、俳優業、監督業など、さまざまな分野でそれなりの結果を出し続ける。しかし、個々の種目に限れば、自分より優れた人はいくらでもいる。
たけしが十種競技の金メダリストだとすれば、松本はお笑いという競技のトップアスリートだ。松本が、自分は映画が好きではなかったと語っている裏には、お笑いは間違いなく好きだという自信と自負があるのだろう。
万能の天才と一芸の天才。笑いの歴史を作ってきた2人の天才の対話は、期待を裏切らないスリリングな見世物だった。(お笑い評論家・ラリー遠田)