インタビューに答える武内陶子さん(写真・写真映像部・和仁貢介)

後輩たちへの「道」もつくりたかった

 同番組を担当し始めてから5年目のこと。武内さんは「タイミングをみるのはやめよう」と決断したという。

「率直に、上司に『出産したいんです』と相談しました。周りの人に迷惑をかけてしまう、ということなどはひとまず考えず、私は子どもが欲しいと思っているという気持ちを伝えました。後輩にも『自分のタイミングで出産をしてもいいんだ』ということを伝えたかったんです。私が行動することで、彼女たちの道をつくれたらなって」

 不妊治療に専念するため、武内さんは2002年に「おはよう日本」を降板した。この決断の際は「戻るときに仕事がなくなってもしょうがない」と腹を決めていたという。

 それまで数年、不妊治療を続けていたが、早期の妊娠はかなわなかった。精神的にきつくなったこともあり、武内さんは一度、不妊治療をやめている。

「不妊治療を始めて、女性への負担の大きさを実感しました。排卵のペースを考えると、1年に12回しか妊娠の機会がないんです。そうすると、『ああ、今月消えた……』『また逃した』って毎月毎月思うんですよ。それに追い詰められてしまって。『これは私が働いているから駄目なんじゃないか』って自分を責めたりもしました」

 つらい思いをしながらも、仕事をセーブするなどして不妊治療を再開。すると04年、前年の紅白歌合戦の総合司会を終えた武内さんのおなかに命が宿っていることがわかった。

 しかし、妊娠が分かったあとも、武内さんは不妊治療については公表しなかった。それは、妊娠した人と不妊治療を続ける人との間でどうしても埋まらない溝があることを実感したからだという

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長女が口にした「胎内記憶」