夏目漱石や森鴎外といった文豪の作品は、教科書に出てきて知ることはあっても、みずから積極的に読む若者は今では少数派かもしれません。自身のことを思い返してみても、まだ中学生や高校生のころは人生の選択や恋愛の苦悩などはそれほど身近なものではなく、ましてや自分が生まれるよりもはるか前に書かれた作品を読んでもあまりピンと来ないものです。
「こうした文学作品は、大人になってから読んだほうがおもしろい」と言うのは、文芸評論家の斎藤美奈子さん。なぜなら、「そこで描かれた悩みは、なべて身に覚えのある話だったり、どこかで見聞きしたことのある話だったりするし、深読みや裏読みもできるようになるから」と、書籍『出世と恋愛 近代文学で読む男と女』に記します。同書は斎藤さんが近代の青春小説と恋愛小説を読み解いた一冊です。
斎藤さんによると、近代に書かれた青春小説には黄金のパターンが存在するといいます。それは以下の3点です。
「1、主人公は地方から上京してきた青年である
2、彼は都会的な女性に魅了される
3、しかし彼は何もできずに、結局ふられる」(同書より)
同書の1章、2章では、夏目漱石『三四郎』、森鴎外『青年』、田山花袋『田舎教師』、島崎藤村『桜の実の熟する時』といった作品から、こうした「『告白できない男たち』の物語」を詳しく見ていきます。
最初に取り上げられるのは、まさにこのプロトタイプとも言える『三四郎』。もしみなさんが学生のころにこの小説を読んでいたら、三四郎が恋した美穪子について「男性に魅力を振りまく謎めいた女性」という印象を持つかもしれません。けれど、それはあくまでも三四郎というフィルターを通した姿であり、「美穪子の側から『三四郎』を読むと、不思議でもなんでもない、いたってわかりやすい別の物語が浮かび上がる」(同書より)のです。斎藤さんによる読み解きは、まるで探偵小説の鮮やかな種明かしを読んでいるよう。なぜ三四郎と美穪子の関係が恋愛未満で終わってしまったのかが腑に落ちるとともに、100年も前の恋愛ドラマに興味を抱かずにはいられません。
そして、近代恋愛小説にも黄金の物語パターンが存在すると斎藤さんは言います。
「1、主人公には相思相愛の人がいる
2、しかし二人の仲は何らかの理由でこじれる
3、そして、彼女は若くして死ぬ」(同書より)
これを斎藤さんは「『死に急ぐ女たち』の物語」と名付けます。同書の3章、4章では徳冨蘆花『不如帰』、尾崎紅葉『金色夜叉』、伊藤左千夫『野菊の墓』、菊池 寛『真珠夫人』などを読み解きながら、「なぜ女性たちは死ななければならなかったのか」に迫ります。
「しょせんは小説の話である。が、近代文学は、その国の精神文化に、あるいは個人の生き方に、思いのほか深い影を落としている可能性がある」(同書より)と斎藤さん。同書を読むと、今の時代にも通じる......というか今の時代と何ら変わらない、男女の精神性や問題点が浮かび上がり、近代作品をもう一度読み直したくなることはずです。ちなみに、同書で取り上げられた主な12作品のうち10作品は青空文庫を含めた電子版で読めるそうです。興味を持った方は紹介された小説も読んでみることをおすすめします。
[文・鷺ノ宮やよい]