アメリカも「異論を唱えない」

 ニクソン大統領は、1972年2月に訪中し、毛沢東主席と会談。「米中共同声明(上海コミュニケ)」を発表した。その中には、「中国は一つであり、台湾は中国の一部である」との中国の主張をアメリカが「認識(Acknowledge)」し「異論を唱えない」としている。アメリカの一部では後日、「これは承認(Recognize)とは異なる」との説も出たが、「認識」であっても「承認」であっても、「異論を唱えない」ことに変わりはないであろう。

 ニクソン大統領の訪中並びに毛沢東主席との会談で米中国交回復の大筋は決定したが、正式の国交正常化は、日本が「日中平和友好条約」を批准したより約2か月以上遅れの1979年1月1日。鄧小平副主席が訪米し、ジミー・カーター大統領との合意で実現し、アメリカは台湾の「中華民国」と国交を断絶、アメリカ軍は台湾から引き揚げた。

 カーター政権は、ソ連に対抗上中国の抱き込みを図るとともに将来の中国の巨大市場確保のため、中国との友好関係拡大を考えたようだ。だが、日本やイギリスと違い議院内閣制でないアメリカでは、議会の多数派と大統領の見解が一致しないことがよくある。また党による議員拘束もなく、予算と立法権は議会にあるから、ロビイスト(lobbyist)の影響は少なくない。「台湾を見捨てるのか」との議員の声は強く、議会は1979年4月、「台湾関係法(Taiwan Relations Act)」を可決した。

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「日中平和友好条約」の存在