「日中共同声明」が出される前年の1971年7月、リチャード・ニクソン・アメリカ大統領の安全保障問題担当補佐官、ヘンリー・キッシンジャー氏は秘密で訪中、周恩来首相と会談、ニクソン大統領訪中で合意した。

 当時アメリカは、1964年から始めたベトナム戦争で苦戦し、アメリカ国内では反戦論が高まっていた。だが、南ベトナム政権を見捨てて全面撤退をすれば、アメリカの面目は丸つぶれだから、北ベトナムを支援してきた中国に取り入って、しばらくは南ベトナムの政権を保ってもらって撤退しようとしていた。

 一方、中国はソ連の反対を無視して核開発をし1964年10月に核実験を行うなど独自路線を進み、ソ連がアメリカとの雪解けに向かおうとするのを嘲笑し、ソ連軍と中国軍はしばしば国境で衝突、ソ連軍はモンゴル駐屯の兵力を増強し、中国に予防戦争を仕掛ける構えで威嚇していた。1958年から62年にかけて、毛沢東主席が指導した「大躍進」政策は失敗して大飢饉にあえぎ、続く「文化大革命」でさらに疲弊した中国にとりアメリカがベトナムの泥沼から足を抜こうとして和解を求めてきたのはもっけの幸いで、アメリカとの経済関係が開かれ、国連安全保障理事会の常任理事国にまでなれると知れば、アメリカの申し出に飛びついたのは当然だ。

暮らしとモノ班 for promotion
なかなか始められない”英語”学習。まずは形から入るのもアリ!?
次のページ
カーター政権の思惑と連邦議会