批評家の東浩紀さの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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ウクライナに取材で1週間ほど滞在した。ポーランドからリビウまでバス、キーウまでは鉄道で移動した。
ウクライナ戦争については多くの報道があり、滞在する日本人ボランティアもいる。けれども、戦時下の社会を自分自身の目で見たいと考えた。筆者の会社は幾度かチョルノービリへのスタディツアーを行っており、浅からぬ縁もある。
取材記は追って文章にまとめたいと思うが、じつに複雑な感慨を抱いた。街は確かに戦時下だ。キーウ市内にはプロパガンダが目立つ。軍人も多い。空襲警報にも数回出くわした。
けれど、では警報が鳴るたびにみなが慌てて避難するかといえばそうでもない。驚いたことに平気で野外を歩きコーヒーを飲み続けている。聞けば、警報の詳細を解説する非公式のSNSアカウントがあり、危険か否かがわかるのだという。深夜外出禁止下でも、規制時間までの夜は若者に溢れ、休日のショッピングモールは家族連れで賑わっている。人々は戦時下でもしたたかに日常を続けている。
ウクライナ戦争は現代の欧州が初めて経験する本格的な国家間戦争だと言われる。それはつまり、高度な資本主義社会が初めて経験する「戦時下」だということだ。