まずコンピューター関係のオフィスに1週間行きましたが、つまらなくて、次の1週間は、ブラックスミス(馬の蹄鉄職人)のところに行きました。楽しいけどハードワークだなと思い、最後の1週間は花屋へ。本当に楽しくて、この仕事をしようと一発で決めて、修業を始めました。

松下:修業は厳しかったですか?

ニコライ:最初は楽しかったですが、始まったらとても厳しかったですね。古い体質の世界だったので、モノを投げられたり、怒鳴られたり。師匠のイエンツは私のことが大嫌いだな、と思っていました。でも、仕事はとても好きで、一生懸命に花を学びました。

松下:そこがニコライさんのフラワーアーティストとしての出発点なんですね。

ニコライ:そうです。3年間の修業が終わった時、うれしいことがありました。周囲の人から、イエンツが私のことをすごく褒めてたよ、と教えられたのです。彼は私には絶対言わなかったけれど、周囲にはよく話してくれていたんです。今は、デンマークに戻った時に市場などで出会ったらハグするくらいに仲良くなりました。

松下:一番の師匠なんですね。日本に来られたのは、いつですか?

ニコライ:初めて来たのは19歳の時です。お父さんが鉢物の苗や土を日本にも卸していて、交流があった縁で来ました。3カ月間の滞在で、言葉もわからなかったし、食べ物もあの時はちょっと変だなと思いました(笑)。でもデンマークに戻った時に、日本の楽しさ、面白さがわかったんです。

松下:そう思えたのは、どうしてですか?

ニコライ:滞在中、すごく大きなウェディングに関わる機会があって、自分が作った世界や作品を見てもらえるスケールの大きさを感じました。

 デンマークは人口580万人の国で、首都コペンハーゲンはわずか60万人の街です。デンマークに戻り、ここでは絶対にできないことだと思った時に、日本のポテンシャルを知りました。すぐにビザを取って、9カ月後には再び日本に来ました。1998年のことですから、もう25年経ったね。

松下:すごいなあ。

ニコライ:でも、ずっと日本にいるとは思っていませんでした。いつも今年が前の年より成長していなかったら、デンマークに帰るか、他の国に行くかして、次のチャレンジをしようと決めていましたから。でもずっと成長が止まっていないんです。そのことは私の原動力のひとつですね。

 ずっと自分が好きなものを作り、その世界観を見てもらうことを一番大切にしてきました。だから修業中から常にお店をきれいにして、美しくディスプレイしました。お店を持ってからも、そこは変わっていなくて、売り上げを考えたことがないんです。

松下:そうなんですね!

ニコライ:スタッフにはいつも、とにかくお店が完璧にできていれば、モノが売れなくていいよ、と言っています。お店の空間が素敵であれば、モノを買ってくれますから。

松下:今回は、南青山のフラッグシップストアで撮影と対談をさせてもらっていますが、クリスマスのディスプレイが本当に素敵です。

ニコライ:ありがとう。うれしいです。

(編集部・古田真梨子)

AERA 2023年11月27日号

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