
1秒後に「日本に帰ろう」
――2人目はいつ?
2人目はアメリカでは産めないって私が言ったんです。給料は良かったんですけど、やっぱり家族の手伝いも得られないし、米国でベビーシッターを雇う勇気もなかったし。私もだんだん偉くなって予算の審査とかで出張も増えてきて。それにアメリカで子育てすると、私たちが「差別される側」になる可能性がある。親として2人の子どもを守り切れるかと考えると、子どもの教育は日本のほうがいいと思った。私が「2人目はアメリカでは無理」って言ったら、夫は1秒後ぐらいに「じゃあ日本に帰ろう」って。
日本を出たときは「帰ってくるところはないよ」といろんな人に言われたし、「日本は生え抜き主義だから、若いうちに入ったところで偉くならないと生き残れない」とも言われた。それでも米国のほうが楽しそうだからって渡米したわけですが、私たちが米国にいる間に「大学はグローバル化しないと」とか、「女性を増やさないと」とか、日本が急に変わったんですよ。それで、外国にいる私たちに「うちに応募しませんか」みたいな話が日本から来るようになった。
夫にはいくつか話があったんですけど、あんまり出世欲がないんでしょうね。私も一緒に就職できるJAMSTECの高知コア研究所を選んで応募し、夫婦そろって移りました。
――2人とも「研究員」ですか?
彼はそうですが、私のほうは任期付きでした。帰国したのが2015年春で、翌年1月に次女を産みました。夫はバイオインフォマティクス(遺伝子情報学)が専門なんですけど、大量の遺伝子データがあれば楽しいらしく、高知の家でオムツを替えながらデータ解析していました。
次女がおなかにいるとき、国際深海科学掘削計画(IODP)の掘削船に乗る研究提案を出していたら、出産して1週間後に「10カ月後に船に乗れます」という連絡が来たんです。生まれたばかりの赤ん坊を見ていたら「とても行けない」と思ったんですけど、2階に寝ていた夫が下りてきて、「乗るべきだ」って2時間ぐらいかけて説得した。私の母も「行けばいいじゃない」と言ってくれたので、2016年12月に米国グアムから乗船して、翌年の2月初めに香港で降りました。
娘の1歳の誕生日にそばにいてやることができず、歩き始める瞬間も見逃すことになってくやしかったんですけど、2カ月ぶりにだっこしたら、私の感覚を覚えていてくれた。子どもはめちゃめちゃかわいいです。家族が一番大事。夫には本当に感謝しかない。