
夫婦で一緒に米国に渡り、リーマン・ショックで研究費がなくなるという逆境のなかで米国立科学財団(NSF)からの研究費獲得に成功、そのまま7年も滞在して夫とともに着々と研究成果を挙げた鈴木志野さん。結婚するまでの道筋も、結婚してから2人の間で繰り広げられた話し合いも、なんともユニークなものだった。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子)
――教授の指示に従えなくなって、「研究者をやめてしまおう」と考えていたころに結婚された。お相手はどういう方だったのでしょう?
岩手の海洋バイオテクノロジー研に私の1年あとに入った東京工業大学出身の研究者です。第一印象は「生意気で、私とは気が合わなそう」だったんですが、テニスが上手で、私もテニスはちょっとやりたかったんで、研究所にあったコートでテニスを教えてもらっているうちに仲良くなったという感じですかね。私が東京に引っ越す1週間か2週間前ぐらいに「付き合ってほしい」みたいなことを言われた。
――へえ、どう反応したんですか?
驚きました。でも、私は研究所を辞めて東京に行くので、離れるわけじゃないですか。だったら、うまくいかなくても大したことないなと思って、気楽な感じでOKしました。同じ研究所にいたのは10カ月ぐらい。それから2年ほどたって彼はつくば(茨城県)の産業技術総合研究所のポスドクになり、まもなく一緒に米国に行ったわけです。
万が一地球が滅びても
――離れている間は、いわゆる遠距離恋愛。
そうです。電話ですね。彼はすごく変わった人なんです。はたから見ると私のほうが変わっているんですよ、多分。だけど、彼は私の人生で本当に見たことのないタイプです。すっごく真面目で誠実で、絶対ウソをつかない。彼の兄弟も私も、彼が怒っているのを一回も見たことない。何だろう、人と比較するとか一切ないので、嫉妬とか妬みとかがない。だから、すごくラクというか。
義理のお母さんに「何で結婚したの?」って聞かれたときに、「万が一この地球が滅びて彼がたった1人になったとしても、ちゃんと朝昼晩食べて、健康に気をつかって、明日は少しでも良くなると信じて、寿命を全うしそうな人だから」って答えたんです。義理のお母さん、「は?」っていう顔をしてた(笑)。