社長の田北浩章(85年入社)と会社四季報編集長の富岡耕(2007年入社)。会社四季報は、有料デジタル版もある。過去の四季報も検索できる会社四季報オンラインは月5500円の購読料にもかかわらず、3万人の購読者がいる。(撮影 写真映像部・高野楓菜)

『週刊東洋経済』編集長の風間直樹は、2014年から2017年までの三年間だけ朝日新聞に移籍していた。特別報道部に配属となったが、3年で東洋経済新報社に出戻ったのは、新聞社特有の文化にどうしてもついていけなかったからだ。

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 記者クラブに配属されて官僚や警察官の情報をぬいて「前うちで書く」、そう訓練をうけてきた新聞記者とは、よってたつベクトルの位置からまったく違っていると肌で感じた。配属された特別報道部という調査報道専門の部署ですらだ。

 こうして東洋経済新報社に戻ってきた風間は「よき四季報文化」という言葉を使う。

 東洋経済新報社の売上の3割強を占めるのが、四半期ごとに発行される『会社四季報』だ。

 東洋経済新報社の社員は編集局に配属されれば、たとえ週刊東洋経済編集部に配属されても、四季報の担当を持つ。OBの再雇用や業務委託もふくめて記者の数は150人、全上場企業3919社全てに担当がいる。

 そしてこの四季報こそが、新聞とは違う東洋経済新報社ならではの社のバックボーンとなっているのだという。

「新聞は過去のことを報道するのが、基本。ところが、四季報は将来どうなるのかということを書くのです。そこがまったく違う」(風間)

 この『会社四季報』は1年に4回刊行される季刊誌で、毎号約20万部弱の売上がある。この四季報をデータ集というとらえかたをすると間違える。

 将来を予測し、判断をし、評論をするジャーナリズムなのだという。

 2005年4月から2006年11月まで『会社四季報』の編集長をつとめ、現社長である田北浩章(ひろあき)は2・26事件の1936年に創刊された『会社四季報』の創刊号の一ページをコピーして示してくれた。

 南満州鉄道株式会社。

 その記事欄にこうある。

〈即ち純経済企業でなく国策的な代行機関である。そのために相当無理な投資をも敢行せねばならぬ。従って収益力の向上は中々望み難い〉

「軍部台頭の時代に、ここまで書いている。会社四季報の記事欄は、創刊当初から過去におきたことの記録ではなく、東洋経済新報社はこう考えるという解釈と評論そして予測を掲載してきた」(田北)

 田北自身も、記者だった2011年担当していた工作機器のファナックに思い切ったことを書いている。当時のファナックは、創業者の稲葉清右衛門が一線で力をもっており、上場企業にもかかわらず、四季報の取材を拒否した。それに対して田北は、四季報でこう書く。

〈全媒体平等対応理由に個別取材不可のうえ、11年3月期決算説明会中止。社外メールは情報セキュリティ理由に原則禁止続く。日本語ホームページも突然閉鎖〉

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下山進

下山進

1993年コロンビア大学ジャーナリズム・スクール国際報道上級課程修了。文藝春秋で長くノンフィクションの編集者をつとめた。聖心女子大学現代教養学部非常勤講師。2018年より、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授として「2050年のメディア」をテーマにした調査型の講座を開講、その調査の成果を翌年『2050年のメディア』(文藝春秋、2019年)として上梓した。著書に『アメリカ・ジャーナリズム』(丸善、1995年)、『勝負の分かれ目』(KADOKAWA、2002年)、『アルツハイマー征服』(KADOKAWA、2021年)、『2050年のジャーナリスト』(毎日新聞出版、2021年)。元上智大新聞学科非常勤講師。

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