スタジオファイブ モノクロ銀塩ラボ自営 勢井正一(せい・まさかず)/1947年生まれ、大阪市出身。高校卒業後、2年、会社員をし、写真の専門学校へ。スタジオ勤務を経て28歳の時にスタジオファイブ設立。以降ずっとモノクロフィルムの現像とプリントを手作業で行っている(写真:MIKIKO)
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 全国各地のそれぞれの職場にいる、優れた技能やノウハウを持つ人が登場する連載「職場の神様」。様々な分野で活躍する人たちの神業と仕事の極意を紹介する。AERA2023年11月13日号にはスタジオファイブ モノクロ銀塩ラボ自営 勢井正一さんが登場した。

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 モノクロ専門ラボで手焼き一筋48年。銀塩写真の現像からプリントまですべて手作業で、一枚一枚を丹念に仕上げる。社会の浮き沈みのなか、「手」が仕事を支えてきた。76歳現役。この仕事を辞めようと思ったことは「一度もない」という。

 フィルム最盛期は新聞広告やプロの写真家からの依頼を中心に、夜中まで働く毎日。急ぎの仕事が多く、手作業ゆえに時間がかかっても「最初から手でやっていたから」と機械化は一切考えなかった。

「プリントも現像も、それを仕事にする前から楽しみでやっていたこと。そんなに儲けたいとも思わへんから仕事の姿勢はずっと変わらへんな」

 バブル崩壊で取引先が倒産した1990年代、デジタル化が急速に進んだ2000年代、仕事が激減した。「もうあかん」と何度も思ったが、収入がゼロにはならなかった。

「機械は動かすだけでお金がかかるから仕事が減ったら赤字になる。うちは手やからフィルム1本からできる」

 周りの人から仕事を紹介されるなど、節目で人に助けられた。現在は「いとう写真館」との仕事を柱の一つにし、個人からの依頼も多い。50年以上前に父が撮影したフィルムが見つかったという相談も。経年劣化で無理だろうと伝えたが、長年の勘どころで増感10倍にして現像したところ、70年の大阪万博会場での息子本人の像が浮かび上がった。そんなエピソードを生き生きと語る。

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