本来、無戸籍者が就籍するのはとても難しいとされる。多くの無戸籍者を支援してきたジャーナリストの井戸まさえ氏によれば、BCGワクチン接種の痕を見て生まれた年度を判定したり(年によって、BCGワクチンの針が違うらしい)など、本人が「私は1975年生まれです」と言ったところで、客観的な証拠がなければ相手にされない世界だ。

 今回は千鶴の夫が、就籍に協力したといわれているが、それにしても……である。「姉」としての千鶴と、「妹」としての樹亞を、どのように使い分けたのか。一人二役をやり通したのか。それとも逮捕時に「私は樹亞。姉の千鶴とは喧嘩して連絡が取れない」と言ったように、家裁でもそのように「実の姉とは連絡が取れない」を突き通したのか。

 それにしても不思議なのは、誰も、不思議に思わなかったんですか!? という単純な疑問である。逮捕時の写真を見る限り、千鶴は若くは見えるが……40代にはまず見えない。これは「千鶴が凄い」といより、大田区役所や家裁の方々が凄い……人が良すぎて凄いレベルである。無戸籍者に寄り添い、百戦錬磨で仕事をしているはずの現場の方々が「そういう40代もいるだろう」とそれぞれが心の中の疑念を封じ、最もシンプルな客観的疑問を誰も口にしなかったのだから。そういう意味で、この事件、戸籍という古い制度のバグもあるだろうが、担当した区役所や家裁の方々、それぞれの「優しさ」が引き起こした事件ともいえるだろう。「優しさ」が悪用されたというべきか。

 無戸籍者の現実は残酷だ。社会から身を隠すように生き、人とのつながりを築くことが難しく、長期にわたり孤立する。自分が自分であることを客観的に証明するものを持たない人生がどのようなものか……想像を絶するものがある。だからこそ、戸籍の現場に携わる人々は、無戸籍者だという人が何を言っても大抵のことに驚かなくなっているだろう。たとえ70代に見える女性でも、「きっと大変な苦労があったのだろう……」と、脳内で相手の年齢を変えるくらいのことをしてしまうほどに、寄り添おうとしたのだろう。寄り添いすぎてしまったのだろう。

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その警察官がいなければ、岩田樹亞はまだ生きていた