「心の年齢」は自由だと、私は思う。科学的事実は変えられないとしても、心の中で何歳であったっていいと心から思う。「私は誰がなんと言おうと48歳です。48歳なのに72歳として生きるなんてありえないでしょ。自分らしく生きるために私は48歳の本来の自分を取り戻したいのです!」と千鶴が言うならば、応援したいとも思う。エイジズムは女の命に関わる重大な差別だと、私も認識しているからだ。でも、そういった内心の自由を応援することと、「心の年齢」=「内心の自由」を制度化することとはどういうことなのか。そんなことを考えさせられる。私たちが誰であるかを証明するとする「戸籍」は、私たちの人生をどう規定しているのか。そんなことを改めて考えさせられる。
今回、被害者はいないと書いた。でも実際には、この事件により被害を受ける人は出てくるだろう。本当の無戸籍者たちだ。今回の事件によって、家裁や法務省が、第二の千鶴が生まれないように、就籍手続きを厳しくする可能性は十分にあるだろう。そういう意味で千鶴の罪は重い。高笑いしたい気持ち……と思いながらも、千鶴の罪は重いのである。
それにしても、今回、私が一番感心したのは、千鶴の嘘を見破った警察官だ。千鶴が「40代の岩田樹亞」として、原付バイクの免許を取りに行ったところ、免許センターの警察官が不審に思い事件が発覚した。この警察官だけが、彼女を「被害者」「かわいそうな人」「救わなければいけない無戸籍者」としてではなく、一個人として彼女の面相を見て、「ヘン」とピンと来たのだ。免許センターで毎日何百人もの人間と対面し、本人と写真を確認している警察官ならではだろう。同情心などに惑わされず、客観的に、自分の見ている目を信じたその警察官がいなければ、この世界には、岩田樹亞はたぶん、まだ生きていたのだ。
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