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 作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、前回も取り上げた、架空の48歳の妹として戸籍をつくって逮捕された72歳女性について。

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 吉野千鶴のことが頭から離れない。「若く見られたいから」と、24歳年下の架空の妹(岩田樹亞)になりすまし戸籍をつくるという、前代未聞の事件を起こした72歳の女性のことだ。

 どういうわけか……千鶴(←呼び捨てでいきます)のことを考えれば考えるほど、高笑いしたいような不思議な衝動にかられるのだ。たぶん、これほど国家をバカにした犯罪が他に浮かばないからかもしれない。

 なにしろこの事件、誰も被害者はいない。誰かを貶めたり傷つけたりしたわけでもない。金銭を奪ったわけでも、暴力を振るったわけでもない。ただただ、戸籍によって国民を管理している日本国の威信を、完全に傷つけたのである。しかも行政や司法による正式な手続きを踏んで! いったい、千鶴はどうやってこんな突拍子もないことを思いつき、そしてどうやって実行できたのだろう。考えれば考えるほど、謎が深まる。

 千鶴の容疑は今のところ、「有印私文書偽造・同行使」というものだそうだ。これは「他人の署名や押印を使って文書を偽造し、その文書の信頼性を傷つける行為」などということらしいが、彼女が利用したのは「他人の署名や押印」ではなく、彼女の「心の年齢」に沿って生み出した架空の人物のそれである。日本の刑法史上、こんな事件がかつてあっただろうか。知っている人がいたらぜひ教えてほしい。ちなみに、先日お話する機会のあった法務省の方に聞いたところ、「把握していない」とのことだった。

 千鶴は今回、無戸籍者を装って東京の大田区役所に相談に行ったことがわかっている。なぜ無戸籍者を装うことを思いついたのかはわからないが、大田区役所の人はきっと懇切丁寧に就籍の方法を伝授したのだろう。70代の女性が「私は岩田樹亞、40代です。戸籍がありません。なぜ戸籍がないかというと……」と彼女が繰り出す物語を、恐らくそのまま信じたところから事件は始まったのだと思われる。

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北原みのり

北原みのり

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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