これを〈編集的情報圧縮〉という。ついつい体験を圧縮編集してしまうのだ。じつに不思議なことである。そして、この能力こそが脳の編集力の秘密のひとつなのである。これは、私たちのアタマの中がおよそ九〇〇分対五分、もっと数字的にいえば、およそ二〇〇対一の情報短縮比率によって整理されたがっているということを示している。すなわち、大半の情報は情報圧縮された状態で脳の中にしまわれているものなのだ。なぜこのようなことがおこるのだろうか。

 机の上にコップがある。

 コップを見ているということは、そこに注意(attention)を向けているということである。この「注意を向ける」ということが、編集を起動させる第一条件で、そこに注意を向けないかぎり、どんな編集もおこらない。

 編集工学では、この「注意を向ける」という行為を「注意のカーソル」を動かすというふうに言っている。まさに「意を注ぐ」ということで、その矢印が向くところに「注意のカーソル」があるわけだ。

 注意とは、わかりやすくいえば、その対象にイメージの端子をそそぐことである。コップならコップという区切りを自分に対応させるのである。コップから注意を離すことも可能だ。机の上のコップの隣にケータイがあれば、そこに注意をすばやく移すことになる。そしてコップとケータイだけに注意が向けられたという記録が残る。それ以外の、空気とか机とか、机の上にのっているものとか、埃とか色とかは、背景に消し去られる。

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情報の「地」と情報の「図」