撮影/蜷川実花
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 戦後の日本人が愛してやまない怪獣が令和の世に厳かによみがえる。映画のキャラクターとして生まれて70年。これまでの姿を振り返る。AERA 2023年10月30日号の記事より。

【写真】昔のゴジラは目がちがう?70年前の第1作目のゴジラがこちら

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 どこからともなく現れて、暴れ、壊し、咆哮し、どこへともなく消えてゆく。1954年11月3日に封切られた日本初の怪獣特撮映画「ゴジラ」で、このキャラクターは産声を上げた。多くの人が反核の主張や文明批判の片鱗を読み取った。

 黒く焼けただれた岩石のような皮膚、いかつい背びれ、憤怒に満ちた顔、狂暴な口や牙。「核の落とし子」さながら、水爆実験の影響による痛々しさが刻印されていた。

 シリーズを通じ、破壊神ゴジラは容赦なかった。国会議事堂、銀座和光、東京都庁、西新宿、大阪城、名古屋城など日本各地が破壊の標的となり、海外にも及んだ。

 ただ、別の怪獣との格闘のさなかに壊してしまうアクシデントも多く、破壊自体に快楽を覚えているわけではない。むしろ、初作では、暴れることでしか、やりきれぬ悲苦を吐露することができず、結果、文明が壊れてしまっただけのようにも見える。

 映画「ゴジラ」は一般紙では軒並み辛口の評価だったが、ゴジラシリーズで歴代2位の961万人を動員。中でも鋭い感性を持つ作家三島由紀夫が激賞した。当時、三島はボディービルディングに目覚めた時期で、自らを「ゴジラの卵」などと揶揄した。

 70年に東京・市谷の陸上自衛隊駐屯地で割腹して果てた三島と初代ゴジラはどことなく通底するものがあるようにも思われる。民俗学者の赤坂憲雄は、三島作「英霊の声」の特攻隊の英霊の怨嗟の声は「皇居のまわりを巡ったあとに、ふっと背を向け、南の海に還っていったゴジラの声なき声でもあったような気がする」と記した。

 テーマ曲も強烈な印象を残した。モーリス・ラヴェル作曲「ピアノ協奏曲」の影響を受けたとみられる伊福部昭作曲の「ゴジラのテーマ」も急速に浸透していった。

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