信濃さんはもんたさんの大ファンだったので「リップサービスでもうれしいな」と思っていたところ、後日本当に電話がかかってきて交際が始まったという。
「これまでの人生でお会いしたことがない圧倒的な存在感。今後ももんたさんを超える人には出会えないと思います」
娘のKomugiさんも訃報をうけ、公式ブログに思い出話を寄せていた。
「いつも夕方になるとインターホンが鳴り『もんたさん 遊ぼう』と元気な声に誘われて、玄関のドアを開ければ、そこには目を輝かせた近所の子ども達の姿がありました」
多くの人の話からもんたさんの世俗的な価値観にとらわれない、誠実な人柄が偲ばれる。
70歳を超えても精力的に音楽活動を展開していたもんたさん。もとより情熱的でメッセージ性あふれる作風、斬新な音楽性で知られるが、近年は表現者としてさらなるチャレンジをしていたようだ。
「さかんに『新しい年寄り像を作りたいんや』とおっしゃっていました。『みんなよく若い頃に戻りたいとか言うけど、俺はそんなん全然思わへん。この年になってやっと子供の頃憧れてた渋い大人に近づけてると思う』と。年を重ねても鍛錬をおこたらず、理想の自分を模索し続けておられたんですね。晩年にライブで歌われていた『昭和生まれはシブトイデ!』はそんなもんたさんの心境をよく表現した曲だと思います」(前出の信濃さん)
もんたさんは新曲を中心としたアルバム制作の大詰めだったという。人として、ミュージシャンとして懸命に生き抜いたもんたさんは晩年、どんな境地に至っていたのだろうか。もし可能であればアルバムが遺作として世に出てくれることを願いたい。