
海外駐在のKGB要員にとって、モスクワへの転勤こそが高い評価の証しと考えられていたが、プーチン氏はそうはならなかった。こぎれいなアパートと自家用車を持つ駐在員から、日用品を買うにも長い行列に並ぶ庶民同様の生活に転落した。そんな混乱の中、外食産業やカジノ経営でサンクトペテルブルクでのし上がりつつあったプリゴジン氏とプーチン氏は深い親交を結んだのだ。プリゴジン氏は当時、まだ30そこそこの若者だ。
プーチン氏は今回の動画で、こんな思い出も語っている。
「彼の人生は複雑な運命に彩られ、深刻な過ちも犯したが、自分自身のために、また私が頼んだときには共通の仕事のために、結果を出してきた」
プーチン氏はここで、プリゴジン氏に個人的に仕事を依頼してきたことを認めている。これまた初めてのことだ。
表情は沈痛そのもの
6月の「プリゴジンの乱」の際、プーチン氏は国民向けビデオで「国と国民への背後からの攻撃だ」と厳しく断罪した。
しかしそうした怒りは、8月24日のコメントからは完全に姿を消していた。プリゴジン氏について語るプーチン氏の表情は沈痛そのものだった。その言葉が世間を欺くためのきれいごとだったとは、私には思えない。
プリゴジン氏との個人的な関係を告白することは、反乱を招いた責任が自らにあることを認めるに等しい。しかしプーチン氏には、そんなことを気にしているそぶりも見えなかった。
おそらくプリゴジン氏にしても、プーチン氏との個人的信頼関係が自らの身の安全を保証すると最後の瞬間まで信じていたのではないだろうか。だからこそ、プリゴジンの乱が失敗した後も、ベラルーシ、ロシア、アフリカを自由に行き来していたのだ。(朝日新聞論説委員・駒木明義)
※AERA 2023年9月11日号より抜粋