近藤誠氏の理論についてはいろいろな意見がある。無用な治療ががん患者を苦しめるという近藤説と、ほっといたら症状が進行してもっと患者を苦しめるという反対派。シロートにとってはそれぐらいの理解だ。「近藤理論にすがる人」は多い。
 患者は楽になりたい。楽によくなりたい。がんで苦しいうえに、治療でもっと苦しいのなんか勘弁してほしい。でも、医者は「こともなげに抗癌剤を処方」して、あげく苦しんで死んでしまう。こう聞けば「抗癌剤などやめる」のも一つの選択であろう。もちろん、医者はそんな悪逆非道な拷問みたいなことをわざとしているのではなく、延命のための治療だ。しかし「地獄の副作用で完治率が50~60%」だとしたら、はたして患者はその地獄に耐えられるのか。
 内科医である著者は書く。「ネット上には『もっともっと生きたかったのに、医者になぶり殺され、成仏できない幾千万の霊が……』とまで書いている人もいるのだ。医学的事実よりも、そう『思われている』ことのほうが問題なのだ」と。そして「がん専門医にかぎらず、(わたし自身もふくめて)抗がん剤を使用したことのある医者はみな、この悲しい事実を直視すべきだ」と主張する。
 患者は余命宣告されたくない。いつ死ぬなんてことは本当は聞きたくないだろう。でもそれなくして「延命治療」というものはありえない。そりゃそうだ。じゃあ患者目線でムリな治療をしなければ、軟着陸のような死を迎えられるかといえば、家で寝てたらすぐ床ずれが起きるなどの病状悪化で、別の地獄が待っている。
 人は必ず死ぬ。死ぬ時はだいたい苦痛を伴う。でも生きている人間はそのことを理解したくない。その気持ちに、近藤理論は寄り添ってくる。近藤理論というものに、ついはまってしまうその底なし沼的な魅力の構造がわかる。とにかく死ぬ時は苦しい、と普段から覚悟しておくことが肝要だろう。つらいだけの覚悟だが。

週刊朝日 2015年5月1日号

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