「立ちんぼ」。私はこれまでの人生で一度も「立ちんぼ」という言葉を「音読」したことがなかったことに、先日、このことについて友人と話した時に気がついた。「立ちんぼ」と言いながら、胸が締めつけられるような気持ちになった。まさか「立ちんぼ」が、「食いしんぼ」とか「さみしんぼ」とか「おこりんぼ」みたいな「軽い」言葉になるとは。「女子」とか「女性」とかをつけることで、まるで新しい社会的現象のような雰囲気の言葉になるとは。こんなふうに、言葉が持つ歴史が軽々と消えてしまうとは。

 私が大学生だった90年代頭、新大久保のラブホテル街にも「立ちんぼ」と呼ばれる外国人女性たちがたくさんいた。とはいえそれは新聞に掲載される「公の言葉」ではなく、侮蔑のニュアンスが込められているものだった。また1997年に起きた「東電OL殺人事件」(東京電力に勤める女性が殺害された事件。年収1000万円以上あった彼女が路上で性を売っていたことが死後に暴露され大きな社会的話題になった)のときに、「彼女は立ちんぼをしていた」というようなことが言われていたが、「路上で性を売る」=「立ちんぼ」から発せられるニュアンスには、女性への侮蔑と差別のニュアンスが含まれているのが社会の共通認識だった。

 その言葉が2020年代の日本でフツーに使われるようになったのは、間違いなく、歌舞伎町を中心に若年層に対する性搾取が急増しているからだろう。路上に立ち、買春者たちと直接お金の交渉をする若年女性たちの姿は、ここ数年、幾度もメディアで報道され「社会問題」として語られてきている。まるで「風俗店に属して働くのはプロフェッショナルな労働」であり、「店に属さず男と直接交渉するのは法的にも倫理的にも安全上でも問題のある行為」のように報じられてきた。

 何が問題なのだろうか。

 女性たちが売ることが?

 女性たちが店に属さず路上で売ることが?

 女性たちが直接男性と交渉することが?

 なぜいつも、売る女だけが問題になるのか。

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「買える」と信じて疑わない男たち