かくして決勝戦の観客席は、塾生(小中高大の在校生)・塾員(卒業生)・関係者で溢れ返り、今までにないほどの応援が終始響き渡り、テレビやラジオ中継に釘付けになる者たちが続出。下手すりゃ日本の経済効率に何かしらの影響を及ぼしたのではないかと思うほど、大量の慶応応援者が試合の行方に没入しました。それぐらい選手たちは、こちらの期待と想像と経験値を超える活躍を現実世界でやってのけたということです。

 一方で、そんな慶応の結束心を快く感じなかった人たちも、全国にかなりいるようですが、私としてはこの手の「反感」はある程度買うことになるだろうと、準々決勝辺りから想定はしていました。

 慶応が何かと世間から目の敵にされるのは日常茶飯事です。今回も、「決勝戦での応援の規模と圧が反則レベル!」「金と組織力で相手のプレーを妨害した!」「相手校の選手にとってはトラウマレベル!」など、何でも炎上させたもん勝ちの「発火競争」のようになっているメディア各種の煽り方も含め、散々な言われ様です。

 中でも「慶応の盛り上がりはただの内輪ノリでまったく感情移入できない!」というネットの匿名コメントを目にしましたが、これこそ多くの日本人が陥ってしまっている「甲子園病」の肝のような気がしてなりません。

 彼らが求める高校野球的文脈には、「甲子園の強豪校・常連校の武器は“野球”だけでなければならない」という理想が根強くあるように思います。そのような人たちにとって“恵まれた慶応高校”は、真逆な存在として映るのでしょう。

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