「タイのバンコクで出会った12歳上のパックパッカーの日本人が『日本はもう捨てたし、タイでこのまま住んで働くから、一緒に住もうよ』と誘ってくれたんです。日本人がタイにはまり”カオサン沈没”とか言われていた時代でした。観光ビザは3カ月で切れてしまうので、いったんシンガポールやマレーシアなどの国外へ出て再入国してビザを延長していました」

 タイの住居を引き払い、帰国したのが26歳の時だったが、「日本ドロップアウト組の私を受け入れてくれるところはあまりなくて、生活は大変でした」と振り返る。

 東京で運転代行、イベントのディレクターなど、さまざまな職を体験した。

 映画監督への道が開け始めたのは32歳のころ。大型ディスコ「ヴェルファーレ」のステージプロデュースや東京ガールズコレクションのキャスティングなどのエンターテイメント業界から入っていった。

「人との出会いに恵まれました。出会った方々が芸能界の第一線で活躍している人が多かったので、最初は舞台制作の仕事にありつきました」

 映画監督としてのデビューは2015年から製作された長編オムニパス映画「Tokyo Loss」。21年に完成した映画「ぬくもりの内側」では監督、脚本を手がけ、俳優の三田佳子さん、音無美紀子さん、島田順司さん、そして渡辺裕之さん(享年66)らが出演した。この作品が、渡辺さんの遺作となった。同作は厚生労働省推薦映画になったこともあり、文化庁主催で全国各地の小中学校で授業の一環として、学校上映された。

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「映画を見て自殺をやめました」