力強い投球で観客を魅了。打者としても活躍した(撮影=写真映像部・松永卓也)
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甲子園を沸かせた高校野球のスターも、聖地の土を踏めなかった球児も今、同じスタート地点に立っている。昨秋のドラフトを沸かせたプロ野球新人選手の声をお届けする。「甲子園2023」(AERA増刊)の記事を紹介する。

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 山田陽翔は近江時代、2年夏から3季連続で甲子園にたどり着き、計11勝を挙げた。エースとして、4番として、さらには主将として注目と期待を一身に集め、炎天下、ボロボロになりながらもマウンドに立ち続ける様は漫画の主人公のようだった。

「楽しかったですね。高校野球の2年半はあっという間でした」

 甲子園での印象に残る1勝は2年夏の大阪桐蔭戦(2回戦)。先発して4点を先行されるも、山田の粘投が逆転劇を呼び、兄の母校で、自身も勧誘された優勝候補に勝利した。

「大崩れすることなく耐えて耐えて、(1学年上の)エースの岩佐(直哉、現・龍谷大)さんにつなぐことができた。忘れられません」

 悔しい敗戦も相手は大阪桐蔭だ。新型コロナの集団感染により出場辞退となった京都国際に代わって出場した昨春の選抜。準決勝の浦和学院(埼玉)戦で五回に左足に死球を受け、足を引きずりながらも延長11回170球を投げて優勝旗に手をかけた。だが、決勝の大阪桐蔭戦では思うように球が走らず、三回途中で自ら合図を送ってベンチに下がる。

「僕が近江を選んだのは、滋賀県勢がこれまで一度も全国制覇を達成したことがなかったから。悲願を目前にしながら、完全に力尽きてしまった。冬にもう少し頑張っていたら、勝てていたかもしれません」

 試合前、近江の多賀章仁監督は満身創痍の山田に対し、「お前に任せる」と伝え、判断を委ねたという。この判断に筆者は強い抵抗を覚え、2019年の岩手大会決勝で佐々木朗希(現・千葉ロッテ)の登板を回避した大船渡の國保陽平氏(当時監督)の言葉を思い出した。甲子園、そして全国制覇を夢見る球児なら、疲労困憊でも自ら「投げません」とは言い出せない。佐々木の将来を守るために國保氏は「誰にも相談することなく、すべてを独断で決める必要があった」と話していた。

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