あなたは酒の席で失敗した経験があるだろうか? 友人との飲み会の失敗談なら笑い話で済むが、相手が会社や取引先となるとそうはいかないだろう。中世の頃は、今では考えられないような酒の飲み方をしていた。たとえば初代ロシア皇帝・ピョートルが開催する部下との酒宴は、三日三晩おこなわれていたことをご存知だろうか。
「現代に伝えられるその光景は異様だ。(中略)傍らには、酒樽を半分にした入れ物がふたつおかれている。ひとつは食べ物を入れ、もうひとつには排泄物をいれた。なぜ、その場で排泄しなければいけないかというと、宴会が終わるまでその場を離れてはいけないという鉄の掟があったからだ」(書籍『政治家の酒癖』より)
いつ失態を犯してもおかしくない環境下での飲み会は地獄だろう。現代に生まれて良かった、とつくづく思わせてくれたのが、今回ご紹介する書籍『政治家の酒癖:世界を動かしてきた酒飲みたち』(平凡社新書)である。著者は栗下直也氏。先に挙げたピョートル大帝をはじめ、世界各国の名だたる政治家の酒席でのエピソードやその裏側をあますことなく同書に詰め込んでいる。
日本の歴代首相の酒癖も同書で知ることができた。たとえば田中角栄氏。同書の見出しでは「酒の席で人心掌握したキングメーカー」とある。
「角栄は自ら動いた。役所の幹部職員との宴席でも自ら動き、一人ひとり分け隔てなく酒を注いだ。えらそうに、『おれが主賓だぞ』とばかりに上座に座って、お酌をされるのを待っていたら、相手も恐縮するが、自ら懐に飛び込むため、相手の好感度も高まる」(同書より)
店側には自分用に小さい杯を用意させていたという徹底ぶり。酒を利用して人々の心を掴むことに成功した好例と言えるだろう。一方、"酒で嫌われてしまった首相"として挙げられているのが宮澤喜一氏だ。東京帝国大学法学部を首席で卒業した宮澤氏は、学歴偏重主義としても有名だった。頭も良かったが人を見下す毒舌具合もかなりのものだったという。
東京農大出身の金丸 信氏に向かって「そいつはお出来になりますなあ」と嫌味を言ったり、早大出身の竹下 登氏に「貴方の時代は無試験だったんですってね」といちいち神経を逆なでするようなことを平気で言った。田中角栄氏をして「二度と酒を飲みたくない」と言わしめたほどだ。
そんな宮澤氏の酒での失態などかわいいものではないか、と思わせるのが、アメリカで1960年代に大統領を務めたリチャード・ニクソン氏だ。ウォーターゲート事件により任期半ばで退任したニクソン氏だが、ベトナム戦争からの撤退や冷戦下におけるソ連との緊張緩和(デタント)など多くの功績も残している。
しかしその決断の裏側には関係者の並々ならぬ努力があった。補佐官のヘンリー・キッシンジャー氏はニクソン氏について、「ものすごい変人、実に不愉快な男」と評している。ニクソン氏の狂人ぶりは酒を飲むと悪化した。
「例えば1969年4月、ニクソンは核の使用命令を出している。北朝鮮が米電子偵察機を撃墜し米兵31人が死亡したことを受け、軍制服組トップの統合参謀本部議長に北朝鮮への核爆弾投下を命じたとされている」(同書より)
これについてはキッシンジャー氏が「明日の朝まで待て」と統合参謀本部長に要請したため事なきを得た。しかしニクソン氏が酒を飲んだあとに下した決断はこれだけではない。1970年にニクソン氏はお気に入りの映画『パットン大戦車軍団』を見て気持ちが高揚し、カンボジア侵攻へのゴーサインを出している。
「政治と酒は切り離せない」と著者の栗下氏が語っているように、ニクソン氏のようなタイプが権力者だった場合は恐怖以外の何物でもない。
しかし政治家の中には酒のトラブルとは無縁の人物もいる。それがウラジーミル・プーチン氏だ。権力の座を保つために自己管理を徹底しているプーチン氏は、酒は付き合い程度で、「過去に酔っぱらったことがない」と言われるほど節制している。ウクライナへの侵攻は「酒を飲んでの決断」ではなかったようだ。
栗下氏は同書の最後に「政治家の品格」について語っている。現代はSNSが発達し、個人の品格を問われる時代になってきた。しかしそもそも「政治家に品格は必要なのか」と栗下氏は疑問を呈す。
「品格よりも、どのような手を使おうが対立する利害を着地させるのが政治家の手腕だろう」(同書より)
スマートな振る舞いができても政治に優れているわけではない。我々が見るべきは「政治家の品格」ではなく「政治手腕」なのだということを忘れてはならない。