連日熱戦を繰り広げている夏の甲子園大会。過去には、ファンの間で侃々諤々の論議を呼んだ“疑惑のプレー”もいくつかあった。
「ボーク!」1979年の箕島vs池田
飛び出した三塁走者が投手に「ボーク!」と叫び、混乱に乗じて本塁を陥れるプレーが物議を醸したのが、1979年の決勝、箕島vs池田だ。
星稜との延長18回の死闘を制するなど、史上3校目の春夏連覇まであと1勝と迫った箕島だったが、5回を終わって1対3と苦戦を強いられていた。
そして、6回に1死一、三塁のチャンスをつくるが、スクイズのサインを見て気持ちがはやった三塁走者・北野敏史が投球前に飛び出してしまう。
マウンドの橋川正人は、三塁に振り向きざま、けん制球を投げようとしたが、北野が「ボーク!ボーク!」と叫ぶと、一瞬動作を止めた。この隙に北野は本塁に突っ込み、三塁への送球が緩くそれる間に2点目をもぎ取った(記録は本盗)。
「つい飛び出してしまって、“しまった!”と思ったら、橋川君がボークみたいな動作をした。“ボーク!”と大声を出したが、審判の人が何も判定してくれないので、(本塁に)突っ込んだ」(北野)。
この1点がモノを言って、箕島は8回にスクイズなどで4対3と逆転。春夏連覇を達成したが、6回の問題のプレーをめぐり、ファンの間で「甲子園常連チームのずるい駆け引き」「本当にボークだと思ったからアピールしたのであり、相手を騙す意図はなかった」など、賛否両論が飛び交った。
だが、真相はやや違っていた。問題のシーンで、橋川は間合いを取るつもりで三塁に緩いけん制球を投げようとした直後、北野が飛び出しているのに気づき、一度動作を止めてモーションをやり直したため、「強い球が投げられず、(三塁に)緩い球が行ってしまった」。北野が何を言っていたかも聞き取れなかったという。ファンが激論を交わしたように「ボーク!」の声に動揺したわけではないようだが、想定外の事態にうまく対応できなかったことに変わりはない。