アメリカのワシントンで春の風物詩となっている「全米桜祭り」(National Cherry Blossom Festival)。毎年70万人以上の人が訪れるこのお祭り、今年は3月20日から4月12日まで開催されました。メイン会場のポトマック公園にはタイダルベイスンという大きな入り江があり、1912年に日本から贈られた桜の多くが、この岸に植えられています。桜が贈られてから約100年、日本の桜が無事に植えられるまでには数々の歴史がありました。
この記事の写真をすべて見る日本の桜に魅せられ、ポトマック川沿いを桜並木にしたいと活動した4人の共通の夢
桜の植樹を思いついたのは、紀行作家で写真家、ナショナル・ジオグラフィック協会初の女性理事でもある、エリザ・シドモアです。彼女は日本に関する記事や著作を残していますが、1884年(明治17年)に日本を訪れたとき、向島の桜の美しさに魅せられました。翌年、ワシントンに帰国したシドモア女史は、埋め立て工事が始まったばかりの殺風景なポトマック川沿いに日本の桜を植えようと、アメリカ陸軍管理者に植樹の計画を訴えましたが、断られてしまいました。それから24年間、シドモア女史は所轄官庁に働きかけ続けると同時に、「1ドル募金」などを通して、ポトマック川沿いに毎年100本の桜を植樹する活動を始めました。
この時期、やはり、日本の桜の美しさに魅了されたのが、植物学者のデイビッド・フェアチャイルド。彼は自宅の庭に桜を植樹しようと、1906年、横浜から125本の桜の木を輸入し、東洋の木がアメリカの地に根づくかを試しました。桜は見事に開花し、桜がワシントンに植えるのに適した木であることを確認した博士夫妻は、ワシントン市内に桜を植えようと決意、シドモア女史の桜並木の計画の後押しもしました。
1909年4月、ウイリアム・タフトが第27代大統領に就任すると、大統領夫人も、ポトマック川周辺の埋め立て地に、優雅な桜を植えたいと考えるようになりました。実はタフト夫人は1903年に家族と日本を訪れ、荒川沿いの桜並木を見て、桜の美しさに心を奪われたといわれています。シドモア女史やフェアチャイルド博士がタフト夫人に桜の植樹を要望したのをきっかけに、夫人も桜の苗木の購入を主導、ポトマック川の公園化の話が急速に進み、桜並木が現実化へと向かいました。