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もともとは91年、東京で開いた個展「原初火球」の出品作で、4枚は当時のもので、3枚は2023年版。原初火球は、宇宙の始まり「ビッグバン」を指す中国語だという。和紙などの上での爆発の痕跡を絵画にする手法だけでなく、宇宙との対話といったテーマの作品群にも合う。ある種の構想画だったともいえ、実際08年の北京五輪で実現した、巨大な花火の足跡が上空を進む「歴史の足跡」の原型もある。
約9年を日本で過ごした蔡さんが今回、〈原初火球〉の連作を展覧会の中心に据えた裏には、コロナ禍があった。
宇宙から世界見る視点
「あの精神に立ち戻ってみよう」
行動制限の時期、米国のアトリエで日本時代の日記やスケッチを見返したという。あの頃、制御しきれない野性味や宇宙のエネルギーにつながる感覚、制約のある中国社会からの解放などの思いから火薬を使い始めた。
「火薬は戦争で使われる一方、美しいものも作れる。美しいものを作れる人間には希望がある」
来日当初、日本の美術界の旧態依然たる公募団体展には失望したが、現代美術に触れることもできた。さらに当時はバブル景気の一方、明治以降突き進んできた西洋化の動きを反省するポストモダンの時代だったことも幸いした。「アジア的で宇宙的な表現が受け入れられた」
多くの人と出会い、個展やプロジェクトも実現。作家としての「重要な時期」となったのだ。
天安門事件もあって、中国に戻りづらくなった蔡さんは95年に米国へ。今や欧米の大美術館で個展を開く現代美術界のスターとなり、年齢も重ねたことで、表現は純粋性よりも人間の温かみを求める傾向が生まれていた。だからこそ「生命とエネルギーを純粋に考える姿勢を取り戻さないと」と思った。
初心や日本への思いだけではない。ロシアによるウクライナ侵攻は続き、多くの国で保守化の傾向が見える。先端技術への不安もある。こんなとき、「宇宙から世界を見る視点を持つ必要がある」とも考えた。