仕事以外にどうしてもやりたいことが見つからないという人もいるはずだ。その場合は、やりたいことと仕事がたまたま一致していたわけで、やりたいことをして稼いでこられたのだから、虚しいどころか充実した仕事人生だったと言ってよいだろう。

趣味探しに躍起になる人たち

 そのように自分を納得させようと思っても、やっぱり趣味もない人生なんて淋しいという人もいる。

 周囲の友だちはどうしているのかと尋ねてみると、多くの人は何らかの趣味に手を染めている。

 若い頃に楽器演奏をしていた人は、同好者を見つけてオヤジバンドをしている。

 現役時代からゴルフをしていた人は、暇になったんだからとゴルフ三昧の生活を楽しんでいる。

 学生時代にテニスをしていたという人は、体力維持も兼ねてテニス教室に通って、定期的にテニスをしている。

 現役の頃から美術館めぐりが趣味だったという人は、時間ができたので自分でも描いてみたいと思い、絵画教室に通っている。

 そういう人たちと比べて、自分にはとくに趣味がなく、無性に虚しくなってきたという人もいる。だが、そのような人はけっして少数派ではないはずだ。むしろオヤジバンドやゴルフ三昧生活を楽しんだり、テニス教室や絵画教室に通ったりしている人の方が、圧倒的に少ないのではないか。

 でも、せっかく仕事生活から解放されたのだから、何か趣味を見つけて楽しみたい、打ち込める趣味があればもっと心豊かな人生になるのではないか、と思うのももっともである。

 本来、趣味というのは、無理に探すものではなく、やらずにはいられないもののはずである。無理にやろうとすることなど趣味とは言えない。しかし、仕事一筋の生活の中で、仕事以外のことで自発的に動くことがなくなり、やりたいことが思い浮かばないというのも、よくあることである。

 そこで、趣味探しを多少頑張ってみるのも、まあ悪くない。そんな人たちのための趣味の教室や通信講座を探してみても、音楽、園芸、絵画、囲碁、俳句・短歌、歴史、文学など、いくらでもある。

 とくに音楽や絵画、園芸には興味がないし、囲碁・将棋を始めようとも思わないという人でも、仕事上の調べ物をするのが好きだったという人なら、歴史とか文学とかの調べ物には結構はまるかもしれない。

 自己実現というのは、これまで開発されていない自分の能力も刺激して、全面的に生きることを指す。職業生活で論理能力がとくに磨かれたという人の場合、感覚面や感情面が十分に磨かれていないことがある。その場合は、あえて苦手な絵画や音楽に挑戦することで感覚面を刺激したり、朗読や演劇に挑戦することで感情面を刺激したりするのも、自己実現に近づくことになるかもしれない。

 ただし、無理は禁物である。苦手な能力をあえて開発しようとするよりも、得意な能力を活かして新たな領域にチャレンジする方が無難である。

榎本博明 えのもと・ひろあき

 1955年東京都生まれ。心理学博士。東京大学教育心理学科卒業。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授等を経て、MP人間科学研究所代表。『「上から目線」の構造』(日経BPマーケティング)『〈自分らしさ〉って何だろう?』 (ちくまプリマー新書)『50歳からのむなしさの心理学』(朝日新書)『自己肯定感という呪縛』(青春新書)など著書多数。