「黒い雨」は痛かった

 死に神が突然後ろから切りつけると言いますが、原爆はまさに死に神でした。誰も経験したことのない爆弾でした。昭和20年(1945年)の秋になりまして、ソフトボール大のウラニウム235に中性子をぶつけて爆弾を爆発させるといわれましたが、それが何のことを意味するのかさっぱりわかりません。それぐらい科学全般に疎うとかったんです。そういう私が何と、後世、アインシュタインの特殊相対性理論に挑むことになったんですから、人生は面白いと思われませんか。ほんの小さな質量のウラニウムが巨大なエネルギーに変わり、広島を吹っ飛ばす破壊力をもたらしたのです。

 とにかく怖いなんてもんじゃない。凍りつきましたよ。それでもとにかく逃げようとした。家のことは頭になかったです。飛ぶように逃げたと言えばかっこいいでしょうけども、そんなものじゃない。とにかく、もう、なんとかして生きたいと、そう思って逃げました。原爆投下直後に降りはじめた「黒い雨」は、私の場合、体に当たって痛かったんですよ。ぬれる感じではなく痛かった。これ、僕はずっと覚えています。

 第五福竜丸(1954年に米国のビキニ水爆実験で被爆した遠洋マグロ漁船)の大石又七さんが水爆に遭い、黒い雨に遭ったけれども、石のような黒い雨が落ちてきたと言っていましたから、僕は話をお互いにしましょうと申し込んだんですよ。そしたら、話し合いしましょうということになっていたんですが、あの方は養護老人ホームに入っていらっしゃって、新型コロナのためにかなわなかったのです。今度会ったらぜひ話をしましょうということで、楽しみにしていたのですが、ついにあの方は(2021年3月に)亡くなりました。

 僕が原爆を受けたのは夏ですよ。その夏、普通だったら暑いはずなのに、どんどんどんどん気温が下がるんですよ。そして、ましてや僕は上半身裸で、着ているものは脱ぎ捨てたもんですから、裸で、寒くて寒くてたまらない。猛烈に気温が下がってきたから、そのへんにあった新聞紙を拾って体に巻き付けて、やっと寒さをしのいだんですね。アメリカのカール・セーガン博士が、今度、第3次世界大戦が起こったら人類は滅亡すると言っておりましたけれども、あれは大げさではないなと僕は思いました。だって、核戦争が起こったら、穀物は全部育たない。そして、日光も差さない。そうなったら人類は滅亡するというのがカール・セーガンの主張でした。僕は自分がやられているから、あの話は間違いないなとそう思いました。

※【後編】へつづく