まず挙げられるのは、陰陽師の系譜を引き、占いや加持祈祷(きとう)をしたとされる軍配者的軍師。武田信玄の軍師・駒井高白斎がこのタイプにあたる。作戦に直結する密議に加わる戦術・戦略担当軍師には豊臣秀吉を支えた竹中半兵衛、黒田官兵衛などがいる。

 戦術や戦略だけでなく内政面も担当していた参謀型軍師には、信玄の弟・武田信繁はじめ、武田信虎・信玄父子に仕えた板垣信方、伊達輝宗・政宗父子に仕えた片倉小十郎など、領主一族や家老級の人物が多かった。

宮城県白石市の片倉小十郎像。独眼竜と呼ばれた伊達政宗の信頼が厚く、合戦のみならず外交などでも活躍した(写真/かみゆ歴史編集部)
宮城県白石市の片倉小十郎像。独眼竜と呼ばれた伊達政宗の信頼が厚く、合戦のみならず外交などでも活躍した(写真/かみゆ歴史編集部)

 出家して俗世間から縁を切った僧侶に多かったのが、外交型軍師である。今川義元の軍師・太原雪斎などがここに分類される。石田三成や本多正信・正純親子らは、官僚型軍師と言っていい、軍師の定義を内政面や外交面における活躍まで広げれば、彼らも十分、「軍師」だった。

(構成/生活・文化編集部 上原千穂) 

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