「環軸椎亜脱臼(かんじくつい あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」であるということがわかり、長らく入院生活を送っていた天龍さん。6月22日に退院し、すぐにイベント出演など、精力的に活動を再開した。今回は天龍さんに、スーパースターにまつわる思い出を語ってもらいました。
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俺が小さいころのスーパースターと言えば、やっぱり、大鵬さんや長嶋茂雄さんが人気だったけど、俺は大鵬さんが嫌いでいつも対戦相手の方を応援していたくらいだ。断然、ライバルの柏戸さんの方が好きだったからね。
なぜかというと、大鵬さんは強すぎたから。いつも勝つから、子どもながらに立派なへそ曲がりの俺としては面白くないわけだ。栃錦さんや栃ノ海さんとか、春日野部屋の系統が好きだったんだよ。そういえば、俺がプロレスに転向するときの相撲協会の理事長が栃錦さんで「相撲で勝ち越してプロレスに行くなんて変わったヤツだな」と言われことがある。当時は「この野郎、やかましいわい!」と思ったけど、なにかの縁だったのかもね。
そんな大鵬さんが嫌いで対戦相手を応援していた俺が、二所ノ関部屋に入ることになって、「大鵬がいる部屋だぞ」って周りは喜んでいたけど俺自身はピンと来なくて。それで、二所ノ関部屋に入ったものの、大鵬さんの存在が大きすぎて、好きとか嫌いとか、そういうことを考えるのもおこがましいと思うようになった。
まず、俺みたいな下っ端は大鵬さんに近づくことすらできないからね。大鵬さんが下っ端に命令することは一切なく、付け人が「ああしろ、こうしろ」と指示してきて、俺たちはそれに従うだけだ。飯を食うときも大鵬さんと俺たち下っ端の間には、兄弟子、兄弟子、兄弟子……と何人もいるから、何を食っているのかすらもわからない。下っ端には大鵬さんがどんな性格で、好きか嫌いかを判断する材料すら与えられないわけだ。
ようやく、俺が大鵬さんと話すことができたのは入門して一年ほど経ったころかな。場所中の支度部屋で、大鵬さんの付け人も相撲を取りに行って、周りから人が減ったときに、近くにいた俺に大鵬さんが「あんちゃん、いくつだ?」って声をかけてくれたのが最初。