長篠の戦いの様子を描いた「長篠合戦図屏風(模本)」。左手に馬防柵が見える。この戦場に、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、いわゆる三英傑が揃っている(東京国立博物館蔵)
長篠の戦いの様子を描いた「長篠合戦図屏風(模本)」。左手に馬防柵が見える。この戦場に、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、いわゆる三英傑が揃っている(東京国立博物館蔵)
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 放送中のNHK大河ドラマどうする家康」は、ついに「本能寺の変」を迎え、物語は今後、豊臣秀吉が明智光秀を討ち取る「山崎の戦い」、東西に分かれて20万もの軍勢が戦った「関ケ原の戦い」へと進んでいく。

 この「関ケ原の戦い」で、応仁の乱の前後から140年ほど続いた戦乱の世は終わりを告げることになる。全国各地で戦国武将たちが領土を拡大し、争い合ったこの時代、幾多の合戦が繰り広げられた。教育系YouTuberムンディ先生こと山崎圭一氏監修の『ニュースとマンガで今、一番知りたい!日本の歴史(AERA with Kids学習BOOKシリーズ)』では、なかでも重要な10の合戦を選び、解説している。

「どうする家康」後半戦をさらに楽しむために、『ニュースとマンガで今、一番知りたい!日本の歴史』と『地域別×武将だからおもしろい 戦国史(だからわかるシリーズ)』から、10の合戦をおさらいしておきたい。

1546年 河越夜戦 
[勝]北条氏康×[負]上杉憲政・足利晴氏

 河越城にこもる北条軍を上杉・足利の8万の軍勢が囲んだが、北条氏康が8000の軍勢で打ち破った。北条氏康は小田原北条氏の3代目。この勝利で北条氏が関東の支配者となった。史料が少なく、実態は不明だが、厳島の戦い、桶狭間の戦いと共に「日本三大奇襲」にも数えられている。

1553~64年 川中島の戦い
[分]武田信玄×上杉謙信[分]

 武田信玄は、織田信長や徳川家康からも「甲斐の虎」と恐れられ、最大8カ国まで支配した戦国武将。対する上杉謙信も、越後を統一し、関東管領となった強者だ。両者は北信濃の支配をめぐって5度も戦ったが、結局は引き分けに。特に4度目の戦いが激戦だったとされる。

1555年 厳島の戦い
[勝]毛利元就×[負]陶晴賢

 毛利元就は安芸の小領主から、中国地方10カ国と豊前・伊予の一部を支配する大大名になった戦国武将。厳島では、元就の策略で、5倍のへ兵力を擁する陶軍を打ち破り、名をはせた。その詳細は、公開済みの記事 『織田信長の「桶狭間」、毛利元就の「厳島」 敵の裏をかいて大軍撃破した“奇襲”と“撹乱”』に詳しい。

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桶狭間、長篠、そして関ケ原