1560年 桶狭間の戦い
[勝]織田信長×[負]今川義元
織田信長の名を全国にとどろかせたのがこの合戦。今川軍2万5000を少数の織田軍が奇襲。「海道一の弓取り」といわれた今川義元が討たれた。織田信長はこの後、室町幕府を滅ぼして天下統一を目指したが、明智光秀の裏切りによって本能寺で命を落とした。
1575年 長篠の戦い
[勝]織田信長・徳川家康×[負]武田勝頼
徳川氏と武田氏の国境にあった長篠城。しばしば奪い合いが行われていた。長篠の戦も、当時徳川軍が守っていたところに武田軍が攻めてきたことがきっかけで起こった。織田信長は馬防柵を作って騎馬隊の侵入を防ぎ、多数の鉄砲を一斉射撃。最強と恐れられた武田軍を圧倒した。
1578年 耳川の戦い
[勝]島津義久×[負]大友宗麟
九州最大の勢力を誇った大友氏を、島津軍が徹底的に打ち破った。島津軍の勢力拡大につながった合戦。大友宗麟は南蛮貿易を推進しキリスト教を保護した、いわゆるキリシタン大名。自らもキリシタンとなって、天正遣欧少年使節をローマに派遣した。
1582年 山崎の戦い
[勝]豊臣秀吉×[負]明智光秀
本能寺の変で織田信長を裏切り殺害した明智光秀を、信長の家臣だった豊臣秀吉が討ち取った。実は、秀吉が「豊臣」を名乗るのはこの戦いの後のことだ。そして天下人へと昇りつめる。
1582年 中富川の戦い
[勝]長宗我部元親×[負]十河存保
長宗我部元親は、土佐の国衆から身を起こした武将。この中富川の戦いで十河氏が属する三好氏を破り、四国統一に大手をかけた。しかしその後、秀吉に敗れ、土佐一国に収まった。
1584年 沖田畷の戦い
[勝]有馬晴信・島津家久×[負]龍造寺隆信
薩摩の島津氏が肥後の龍造寺隆信を討ち、北九州に勢力を拡大した。隆信は一代で戦国大名になり、一時は肥前一国と筑前・筑後・肥後・豊前の一部に版図を広げたが、この沖田畷の戦いで、戦国大名には珍しく討ち死にを遂げ、龍造寺家は凋落した。
1600年 関ケ原の戦い
[勝]徳川家康×[負]石田三成
豊臣秀吉の死後、勢力を拡大した徳川家康と、豊臣政権を守ろうとする石田三成が対立。中国地方の毛利輝元を総大将に据えた光成の西軍と徳川家康率いる東軍、合わせて20万もの軍勢が戦った、日本の合戦史上最大の戦い。しかし、家康が事前に西軍の武将たちに書状を送り寝返らせていたため、「本戦」と呼ばれる戦いは半日で決着したとされる。
そしてこの関ヶ原の戦いの後、家康は西軍に着いた武将たちを処罰。東軍に着いた武将には領地を与えて、全国の支配を固めていった。
(構成/生活・文化編集部 白方美樹)