※AERAムック『大学院・通信制大学2024』より
撮影/小黒冴夏
※AERAムック『大学院・通信制大学2024』より撮影/小黒冴夏
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圧倒的な強さとスピードで記録を次々に更新し、オリンピックや世界選手権でメダルを取り続けていた萩野公介さん。2021年の東京五輪後に現役引退を表明し、翌年から日本体育大学大学院へ進学しました。好評発売中のAERAムック『大学院・通信制大学2024』では、大学院進学の理由や研究テーマについて取材しました。

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 世界で活躍したスポーツ選手が、引退後に大学院へ進学するケースは珍しくない。その多くは、大学院での学びを生かして指導者となる。ところが萩野公介さんは「指導者になるつもりはまったくないです」とキッパリ言い切る。ではなぜ大学院なのか。その答えもまた、明快だった。

 「知りたかったんです。人はなぜ泳ぐのか? ということを」

 その「問い」はずっと萩野さんの心の内にあった。負け知らずで記録を伸ばし続けたときも、ケガや不調でもがき苦しんだ日々も。人はなぜ泳ぐのだろう、ぼくはなぜ泳ぐのだろう、と問いながら萩野公介は泳ぎ続けていた。

■東京五輪を前に気づく 水泳がくれた数多くの記憶

 「人はマグロじゃないので、泳がないと死ぬってことはないでしょ(笑)。なのに泳ぐんです。選手になると物理的な拘束時間はとても長くなるので、寝ているときと食事の時間以外は全部泳いでいる。なぜなんだ? なんでこんなことやってるんだ?って」

 でも、答えは出なかった。

 「全然わからないんです、あんなに泳いだのに。いつになったらわかるんだろう、わかるまでは引退できないなあって考えていました」

 答えが見えたのは、東京オリンピックの直前だった。

※AERAムック『大学院・通信制大学2024』より
撮影/小黒冴夏
※AERAムック『大学院・通信制大学2024』より撮影/小黒冴夏

 「これが引退レースになるかもしれないと考えたときに、これまでの記憶が、それこそ走馬灯のように浮かんできたんです」

 車で1時間かけて宇都宮市のスイミングスクールに通った小学生時代、中3で初めて着た高速水着の感触、福岡での大会前日に食べた屋台のラーメン。2010年に初出場したパンパシフィック水泳選手権では朝食がのどを通らなかったのに、12年のロンドン五輪では朝食が食べられて成長を感じたこと。

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ぼくの記憶や思い出は、全部水泳とつながっている