2002年の野外公演で歌うPANTAさん(佐藤修史撮影)
2002年の野外公演で歌うPANTAさん(佐藤修史撮影)
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「世界初のパンク・バンド」「日本語ロックの元祖」などと評される頭脳警察のPANTA(本名=中村治雄)さんが7日、肺がんによる呼吸不全と心不全のため、東京都内の病院で亡くなった。73歳だった。21年秋から長期療養していたが、今年6月14日に東京・渋谷で“復活ライブ”をし、久々に歌声を聴かせたばかりだった。シーナ&ザ・ロケッツを率いた鮎川誠さん(1月29日に74歳で死去)に続き、日本のロック界はまた一つ、巨星を失った。

【貴重】記者に熱く語るPANTAさん。目が優しい。

 関係者によると、21年に診察を受けた際、すでに「余命1年」を宣告されていたという。マネジャーは「本人の意をくみ、体調をごまかしごまかし、新譜の制作やライブの計画を進めていました。『でも、いつかは……』という覚悟もありました」と話す。

 本来は同年11月にシーナ&ザ・ロケッツとのジョイント公演をするはずだった。このときはPANTAさんの体調悪化で延期に。今年2月に再び予定されたが、今度は鮎川さんが急逝。頭脳警察のワンマン公演に切り替えたが、PANTAさんも緊急入院し、公演は中止された。PANTAさんは入院とリハビリを経て、最後の力を振り絞るように、6月14日の復活ライブで「あばよ東京」「さようなら世界夫人よ」など全13曲を披露したのだった。

 マネジャーによれば、同19日に再入院しても、新譜のコーラスや演奏の指示をメールで送ってくるなど、音楽への情熱は途切れなかった。7月初旬に体調が悪化し、マネジャーに言い残すように、かすれた声で「ありがとう」と言ったのが最後の言葉だったという。7日朝、重篤となり、家族や、パーカッションのTOSHIさん(本名=石塚俊明)、マネジャーが見守るなか、息を引き取った。

 一貫して反体制としてのロックを体現してきた人だった。

 ギター&ボーカルのPANTAさんがTOSHIさんとともに頭脳警察を結成したのは1969年。東大闘争、日大闘争を軸にした全共闘運動が全国の大学で燃えさかっていた。安保反対、ベトナム反戦も叫ばれた「政治の季節」。頭脳警察は「世界革命戦争宣言」「赤軍兵士の詩」といった曲をアジテーションのごとく歌い、レコードデビューする前から、学園祭に引っ張りだこになっていた。

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「過激な人」は色眼鏡