第三の理由は、私自身、日本研究者として重要に感じているのは、縄文時代が日本史研究にうまく統合されていないことにあります。日本史の授業では、縄文時代は部外者として扱われるか 、通りすがりにしか言及されません。 ハーバード大学で歴史学の博士号を取得したヘブライ大学の同僚に、以前、日本史のコースを教えるように頼んだところ、彼の返答は、「ほとんどわからない縄文時代について教えなくていいのであれば、喜んで日本史を教える」というものでした 。
一方、イスラエルは、イスラエル人学者だけでなく、海外の学者にとっても考古学への関心が非常に高い地域です。それは、学術的および政治的理由の両方があります。学術的に見れば、イスラエルの土地はヨーロッパとアジアの交差点に位置し、歴史的にはさまざまな時期にさまざまな軍隊に侵略されました。エジプト、アッシリア、バビロニア、ギリシャ、ローマ、アラブ、十字軍、マムルーク、そして最近ではオスマン帝国とイギリス(大英)帝国、したがって考古学的証拠は膨大です。エルサレムでは、どこを掘っても、考古学的証拠が見つかる可能性が高いのです。
さらに考古学者は、少なくとも3500年前にさかのぼる古い書面による証言にも容易にアクセスできます。これらには、エジプトの象形文字、シュメール語、アッカド語、シリア語、コプト語、アラム語、バビロニア語、アッシリア語、そしてもちろんアラビア語、ペルシャ語、トルコ語、古代ヘブライ語で書かれた証言が含まれます。
最も印象的な文書の発見の一つは、1946年から1956年の間に死海側のユダヤ砂漠で発見された、古代ユダヤ人の写本である「死海文書」です。 紀元前3世紀から西暦1世紀にかけて書かれた死海文書は、考古学上、歴史の要石と見なされており、歴史的、宗教的、そして言語的にも非常に重要です。 巻物のほとんどはヘブライ語で書かれていますが、アラム語またはギリシャ語で書かれたものも少数あります。この写本は当時の人々の生活と哲学を理解するための鍵です。それらは現在、エルサレムのイスラエル博物館に保存されており、ヘブライ大学のオリオンセンターで現在も研究されています。 http://orion.mscc.huji.ac.il/