イスラエル・ヘブライ大学のニシム・オトマズキン教授によると、海外の日本研究者のあいだで知られていないのが「縄文時代」だと指摘します。AERA dot.コラム「金閣寺を60回訪れたイスラエル人教授の“ニッポン学”」。今回は、日本とイスラエルの考古学について。
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私はいま、縄文時代を知るため、本州北部への調査旅行から戻ってきたところです。国際的な学者や思想家のグループと一緒に、この5月に、日本国内のいくつかの重要な場所を訪れました。例えば大湯ストーンサークル(秋田県鹿角市)、標高280メートルで日本のピラミッドともいわれている黒又山(秋田県鹿角市)、奥入瀬渓流の「石ケ戸」(青森県十和田市)、大石神ピラミッドともいわれる巨石群(青森県新郷村)、そしてもちろん三内丸山遺跡(青森市)にも行きました。ツアーの最後に、東京都心にある倫理研究所紀尾井清堂(東京都千代田区)で2日間のシンポジウムを行い、一行が見学してきたことを振り返りました。
不思議なことに、日本国外では、縄文時代についてはほとんど知られていません。私たちのグループメンバーの一人で、シカゴ大学とヘブライ大学で学び、イスラエルとトルコで大規模な発掘プロジェクトを率いたイスラエルの考古学者、アミール・フィンク博士は、このツアーに参加するまで縄文時代について「聞いたことがなかった」と教えてくれました。
日本国外での縄文時代の知識が不足している理由の一つは、3500年前にさかのぼることのできる古代エジプト、メソポタミア、中国などには膨大な文書が存在し、書かれたことに基づく物的証拠の確認を行う伝統がありますが、それと比較して、縄文時代について書かれた文書と証拠が不足していることに関係しているのかもしれません。
もう一つ考えられる理由としては、縄文時代が2つの異なる考古学的カテゴリーに分類されないということです。縄文時代は世界史における先史時代ではありませんが、古代でもありません。多くの点で、縄文時代は解決されていない学術的状況に置かれており、そのためのカテゴリーが必要です。