9月に「環軸椎亜脱臼(かんじくつい あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」であるということがわかり、現在は入院してリハビリ中の天龍源一郎さん。今回は入院先から主治医の許可をもらいながら、アメリカで見た日本人レスラーにまつわる思い出を語ってもらいました。
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俺がアメリカで見た日本人レスラーで印象的なのは、やっぱりマサ斎藤さんとザ・グレート・カブキさんだ。俺が二人の試合を初めて見たのは1979年ごろのフロリダで、当時、斎藤さんはマサ・サイトー、カブキさんはミスター・サトというリングネームでタッグを組んでいた。
二人はいつもメインの試合に登場していて、お客さんを上手く乗せる戦いぶりを見て「ああ、これがプロレスなんだな」と開眼させられたことを覚えている。まるでお客さんと会話しているようだったなぁ。俺はフロリダでマサて、プロレスとは何かを教えられたんだ。
あの頃のアメリカはまだ日本人を見ると「リメンバー・パールハーバー!」と言ってくる人も多く、二人はひざ下までのタイツ姿の“田吾作スタイル”で典型的な日本人悪役レスラーだった。当時は日本人=田吾作スタイルというイメージがアメリカ人の間で根付いていたからね。
当時の日本がアメリカ人=ブロンド、インド人=ターバンというイメージを持っていたのと一緒だ。二人はそんな悪役の立ち位置でも、技を出すタイミングが上手いからファンも乗ってきて、スティーブ・カーンやディック・スレーターといった“いい役”のレスラーも光って見えるんだよ。
カーンやスレーターたちもマサさんやカブキさんたちと試合をやりたがっていたからね。向こうのトップレスラーも二人とやれば面白い試合になるからって、実力を認めていたんだからすごいことだよ。南部の気性が荒い人間が多いところでメインを張るのは半端な実力ではできないことだ。
二人はメインで、俺はいつも1~2試合目に出ていたけど、試合が終わると「飲みに行くぞ」と、カントリーミュージックが流れるパブにいつも連れて行ってくれた。そこは俺たちのようなレスラーや試合を見に来たファンが集まるような店で、マサさんもカブキさんも現地のファンが寄ってくるほど人気だった。