マサさんとカブキさん以外で、俺が見た中でアメリカのカテゴリーでトップを取っていのは、ジョージアを主戦場にしていたキラー・カーンだ。1980年ごろにモンゴリアン・レスラーとして活躍していてね。アメリカ人も本当にモンゴル人だと思っていたようだし、日本人離れしたデカい体でガシガシやっていたからね。

 キラー・カーンがトップでやっていたころ、俺も彼と同じアパートに住んでいたんだけど、彼の優雅な生活がうらやましかったよ。現地の女性と結婚して、いい車に乗って、毎日試合をしているのに対して、俺は週2~3試合だけで、彼と対戦することさえも出来なかった。

 キラー・カーンも、もともと春日野部屋の力士で、ジョージアで会ったときも「おお、天龍関」って気軽に声をかけてくれたもんだ。相撲では彼が1年ほど先輩だけど、番付は俺がすぐに抜いたし、対戦したときもちゃんちゃんとやっつけてやったんだけどね(笑)。それがプロレスでは最後まで番付を抜けなかったよ。それだけ、トップで長く活躍したよね。

 それから、たしかキラー・カーンだったと思うけど、彼は白米が食べられないとダメなタイプだから、アメリカにも炊飯器を持ち込んだんだけど、税関で時限爆弾と間違えられて大騒ぎになったことがあったんだって(笑)。あんな丸い筒にタイマーがついているから、炊飯器を知らない人からしたら爆弾だと間違われても仕方ないよ。ましてあの風貌だし(笑)。

 俺がアメリカ修業に行くとき、一緒に行ったのがケンドー・ナガサキこと桜田一男選手だったんだ。桜田選手が全日本プロレスの道場で俺の髷(まげ)を結っているのを見て、ジャイアント馬場さんが「お前器用だな。天龍と一緒にアメリカに行って来い」と言われて、一緒に行くことになったんだ。

 それが、俺がアメリカに行く10日前くらいで、バタバタと荷物をまとめて一緒に行くことになったんだ。桜田選手は俺の2歳上だけど、彼も元力士で相撲では1964年初場所が初土俵の同期。彼は立浪部屋の有望力士だったんだけど、プロレスに転向したのは俺よりも早かった。

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「おい、天龍」でジャイアント馬場さんに叱られる