
田房:そうなんです。男の子の前の席の人たちは気にしていない様子だったし、私だけこの子の話し声に厳しい目線を持っているということも罪悪感になりました。私は大人なのに、親なのに……と。
武田:それこそSNSでは、なかなか言い出しにくい話題ですね。

■人間の仕方ない部分
田房:ネット上だと、「子どもがいるのにそんなこと言うんですか」みたいになっちゃう。でも、直にママ友と話をすると、「わかる、わかる」という感じだったりするんです。ネット上だと属性で分かれたり、攻撃的な言葉が飛びかったりと、何かちょっと変なふうに盛り上がっているっていうのはあるのかなと思います。
武田:そうかもしれません。
田房:その一方で、スポーツジムで高齢者の利用者の方がキッズスイミングで来ている子どもたちのことを「子どもばかり大切にされている」と文句を言っているのを聞いたときに、「そういうふうに思う人もいるんだな」って思っただけでした。以前の私だったら、「なんでそんなひどいこと言うの」って思っていた気がするけど、最近は小さい子を育てる大変さ、過酷さみたいなものが体から離れてきて、記憶としてしかないみたいになって。
子どもが生まれたばかりのときは、高齢者の人が子育て層に厳しいことを言っていると、「子育てしたはずなのになんでそういうことを忘れちゃうんだろう」と思っていたけど、それは人間の仕方がない部分なのかも、と。
武田:自分が父親ではない、という立場から、『父ではありませんが 第三者として考える』という本を出版したのですが、「父親ではないのに、子どものことや家族のことを考えてらっしゃったんですね」って、取材などで言われました。夫婦二人で暮らしていて、子どもがいないっていう状況だと、「子どものことを全く考えてないと思われているの?」と少し驚きました。考えているに決まっているじゃん、って。どうすれば子育てしやすい社会になるのか、現政権の少子化対策はこれでいいのか、とか。
一方で、田房さんのように子育てをされて、ある程度、子どもが成長して、考えが少し変わってくる人もいる。いろんなグラデーションの中でわかり合って、社会を形成していく。それを可視化するのは、それこそSNSだけでは無理だし、雑誌の記事だって無理でしょう。それらは、ハッキリした内容にするために、パキッ、パキッと主張を分けがちです。「実は最近ちょっと考え方が変わってきたんだけど」とか、「最近は何も思わなくなったな」みたいな変化の集積で社会は回っている。これを前提にしないと、また別のところでバトルが起きますよね。その繰り返しを眺めていると、たとえ子どもを持ちたいと思っている人でも「キツそうだからやーめた」になってしまうかもしれません。
(構成/編集部・三島恵美子)
※AERA 2023年6月5日号より抜粋