20代まで「効率優先」で努力は避けて生きてきたが、秘書で仕えた頭取と出会い180度人生が変わった。その上司に貰った万年筆を大事な書類への署名にいつも使っている(撮影/狩野喜彦)
20代まで「効率優先」で努力は避けて生きてきたが、秘書で仕えた頭取と出会い180度人生が変わった。その上司に貰った万年筆を大事な書類への署名にいつも使っている(撮影/狩野喜彦)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA 2023年5月15日号の記事を紹介する。

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 1998年12月13日夕、東京・日本橋兜町の東京証券取引所で記者やカメラマンがぎっしり詰めかけた記者会見場。その最後尾に立ち、秘書として仕えていた日本債券信用銀行(日債銀=現・あおぞら銀行)の東郷重興頭取の姿を、凝視した。

 この日の午前、当時の小渕恵三首相が日債銀を特別公的管理(一時国有化)とすることを決定した。不良債権が巨額に膨らみ、債務超過となって日債銀が発行している金融債の保有者や融資先の企業群に混乱が広がるのを防ぐため、とされた。

 東郷頭取は会見場に立つと、頭を下げた。報道陣は、不良債権処理が遅れて経営が困難になったことを詫びた、と受け取った。だが、違う。礼儀としてのお辞儀で、すぐに姿勢を正し、日債銀の経営には支障がないことを背景に「特別公的管理の決定に当行は該当しないと認識しており、決定は唐突で、はなはだ遺憾だ」と言い切った。

 資金繰りは余裕があり、先に行き詰まって一時国有化された日本長期信用銀行(長銀)とは全く違う。不良債権も、次の決算期までにかなり処理できる。だから、国が資本を入れて一時国有化することなど、政府に要請もしていない──このような状況をもとに、東郷さんは頭取として、胸を張った。

 聴いていて、涙が出た。日債銀で働く仲間が、本当に喜ぶだろう。「バブルにまみれて破綻した長銀だけを国有化するわけにはいかない」と、国策として「道連れ」にされた悔しさは残るが、自分たちの存在すら否定される報道があふれ、家族までがうつむいていた日々がこれで終わってくれるのではないか。

 頭取は、一時国有化自体は受け入れて役員全員の辞任を決めたが、トップに立つ者はお上の言う通りにただ従うだけではなく、主張すべきことは堂々と言う。「使命感」、これが、菊地唯夫さんのその後のビジネスパーソン人生の『源流』となる。

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