
中将:森本さんが担当した期間は沢田さんがまさに絶頂に駆け上がる時期ですが、トラブルもありました。
森本:うん、やっぱり暴力事件で謹慎した時はつらかったですね。2回あったけど僕が居合わせたのは76年5月の「いもジュリー事件」。僕が新幹線で荷物を下ろしてる隙に「ジュリーがケンカしてる」ってなって、あわてて駆け寄ったら男が「こいつが殴りやがった」なんてわめいてる。聞けば、通りすがりに「いもジュリー」と言われついカチンときちゃったということで。もちろん手を上げちゃいけないんだろうけど、正義感の強い人だから理屈に合わないことをされたら黙っていられないんですね。1回目は僕はいなかったけど、あれも駅の職員がファンを「チャラチャラしやがって」となじったのをとがめたんでしょう。
いろいろありましたが、若い時にジュリーの仕事をさせてもらったおかげで、マネジメントの仕事は目をつぶっていてもできるくらい自信を持つことができました(笑)。
中将:沢田さんは85年に渡辺プロから独立しますが、特に2000年代以降の変化は大きいですね。
森本:反戦や反原発を歌うようになるとは思ってもみませんでしたね。渡辺プロのころはそういう主張は絶対NGだったんだけど、坂本龍一さんがそうだったように、ミュージシャンがメッセージを発信するのは当然のこと。自由になってそういうことに挑んでみたくなったんじゃないですかね。
中将:近年の沢田さんをどう思われますか?
森本:去年の映画「土を喰らう十二ヵ月」は今の素のジュリーの魅力が出ていていいなと思いました。さいたまのライブも素晴らしいと思いますし、若者からも注目されてると聞いてなるほどなと。力を抜かない全力のライブパフォーマンスや、頑なゆえににじみ出る人間的な魅力がそうさせるんじゃないでしょうか。でも僕からしたらそういった根本の魅力は昔と変わっていません。まだまだずっと活躍できる方だと思っていますし、そうであってほしいですね。この間も文春さんの取材に答えた後、「知りもしないことをベラベラしゃべるんじゃねえよ!」と笑いながら叱られたので、また叱られなきゃいいけど(笑)。
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誰よりも身近で苦楽を共にした者だからこそわかる沢田の今。年を経ても“不変”のスターが織りなす極上の表現をこれからも長く楽しみたい。
(一部敬称略)(中将タカノリ)
※週刊朝日 2023年6月9日号