「ジュリーはこれからも輝き続けます」と語る森本さん(撮影・中将タカノリ)
「ジュリーはこれからも輝き続けます」と語る森本さん(撮影・中将タカノリ)
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 1970~80年代、芸能界の頂点に君臨したジュリーこと沢田研二の75歳のバースデーライブが注目されている。さいたまスーパーアリーナの“リベンジ公演”を前に、元マネジャー、森本精人さんにスーパースターの魅力の神髄を聞いた。

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 ここ数年、ライブツアーを活動の中心とする沢田研二。バースデーライブは、興行主との集客に関する契約トラブルで“ドタキャン”せざるを得なかった2018年のリベンジ公演となる。今回は既に2万枚以上のチケットを完売。折からの昭和歌謡ブームで、往年のファンのみならず若者からも熱いまなざしを浴びる沢田の、衰え知らずの人気の秘密とはいったい──。

中将タカノリ(以下、中将):初めて沢田さんと会った時の印象は?

森本精人(以下、森本):ジュリーを初めて見たのは、学生時代にニッポン放送でアルバイトしてたころ。まだザ・タイガースで、明治製菓がスポンサーの番組に出演していた時でした。芸能人は見慣れていましたが、ほかの人にないオーラを感じたのを覚えています。

中将:その後、森本さんは渡辺プロダクションに入社されるわけですね。

森本:はい、僕が入社したころにタイガースが解散。はじめザ・ピーナッツのマネジメントを担当したんですが、ほどなくジュリーの担当になりました。

中将:身近に接した沢田さんはどんな方でしたか?

森本:過密スケジュールだし、「ザ・タイガースを超えたい」というプレッシャーを感じていたのか、少しエキセントリックな部分がありました。コンサートで演出のタイミングがずれたりカーテンから灯りが漏れたりすると、激怒してマイクを放り投げて帰ってしまったりね。ファンの女の子たちは泣いてましたよ。完璧を目指すが故にスタッフに対しても厳しい。でもなぜかみんなジュリーのことが大好きなんです。これは実際に接した人でないとわからない感覚かもしれません。僕にとってもすぐに神様のような存在になりました。

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