自衛官時代の五ノ井さん(提供=五ノ井里奈)
自衛官時代の五ノ井さん(提供=五ノ井里奈)

「セクハラじゃなくて、コミュニケーションの一部だもんな」

 性暴力はこれに留まらなかった。8月3日、北海道の演習場でも、それは起こった。五ノ井は上長に相談した。女性幹部は慰めの言葉をかけてくれたが、後日、女性幹部はこう言った。

「訓練は訓練だから」

 結局は守ってもらえない。五ノ井は絶望した。訓練に顔を出せなくなり、自衛隊病院のメンタルヘルス科を受診し「適応障害」と診断された。組織の中で聞き取り調査を受け、起訴への準備を進めるも、療養中、給料は減額され、しだいに五ノ井は故郷の自室に引きこもる日々を送る。どうして被害者ばかりが、こうも窮地に立たされるのか。

 22年3月16日夜、極限まで思い詰めた五ノ井は自殺を図ろうとした。ところが、死を思い留まらせる、ある天変地異が起きた。その瞬間、東日本大震災で生きたくても生きられなかった数多くの人々がいたことを、五ノ井は思い出した。

「自衛隊内の性暴力は、わたしだけが被害者ではない。(中略)

 強い思いが芽生えた。

 闘わなきゃ。あいつらを絶対に許さない」(『声をあげて』より)

 五ノ井は語る。

「この時のことを本にまとめながら、『生きていて良かった』って改めて強く感じました」

 6月2日、検察庁から一通の封筒が届く。嫌疑不十分により「不起訴処分」。同月28日、五ノ井は自衛隊を退職する。翌日、ネット上に、自身が受けた性被害を告発する動画が2本、配信された。大きな衝撃をもって、瞬く間に拡散。メディアも飛びついた。そのうち、五ノ井のもとまでいち早く足を運んでくれた記者がいた。岩下明日香氏。のちに五ノ井の自著『声をあげて』の構成を手掛けることになった。本の執筆作業は慎重に進められたという。五ノ井は振り返る。

「岩下さんは私に合わせてくれて、メンタル不調の時は『今日はやめようか』。痛みを分け合って、言葉を丁寧に引き出し、一緒に考えてくださいました」

 事態は加速していく。8月末には、厳正な対処を求める署名が10万5296通集まり、防衛大臣政務官に提出した。9月9日、驚きの知らせが五ノ井のもとに舞い込んだ。

「不起訴不当」。五ノ井が巻き込まれた事件は、自衛隊内部と、検察によって、再捜査されることに。さらに、一人の隊員が性暴力の事実を認め、「直接謝りたい」と申し出た。同月29日、防衛省で幕僚長が謝罪。10月17日には、加害者4人の直接謝罪を五ノ井は受けた。

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