「なぜ山に登るのか」という問いは古くからあるが、まだ納得できる回答に出会ったことがない。富や名声のためではなさそうだし、健康にいいとも思えない。遭難事故も少なくない。命をかけるほど気持ちがいいものなのか。こんどこそ答えが見つかるかも、と期待して『アルピニズムと死』を読んでみた。著者の山野井泰史は日本のトップクライマーである。
この本は登山の総合誌「山と渓谷」で知られる山と渓谷社のヤマケイ新書の第一弾だ。登山をする人しか読まないと考えてか、専門用語が説明抜きで頻出する。たとえば〈この年の春はフリークライミングでも調子が良く、秩父の河又で5・13aの「マンモスケープ」をレッドポイントし、伊豆の城山でも5・12cのオンサイトに成功しています〉といった具合。意味はわからなくても、雰囲気は伝わってくる。
人柄なのだろう、山野井の文章は明るく淡々としている。常に限界ギリギリを攻めているトップクライマーとは思えない。いや、熱くなったり興奮したりしないからこそ、トップクライマーなのかもしれない。山野井と親しかったクライマーたちはどんどん死んでいく。むしろ死ぬのが普通で、生き残った山野井が奇跡だ。
壮絶なのは2002年のギャチュン・カン北壁登頂の頁だ。チョモランマ(エベレスト)の隣にある世界第15位の高峰、標高7985メートル。ここを山野井は妻の妙子と二人で登る。登頂後、雪崩に巻き込まれ、ひどい凍傷を負う。失った手足の指は10本。
これまで死ななかった理由として著者は〈若いころから恐怖心が強く、常に注意深く、危険への感覚がマヒしてしまうことが一度もなかったこと〉を挙げている。無謀な人ではないのだ。
さて、なぜ山野井は登るのか。「どこまでやれるのか」という言葉がキーワードになりそうだが、でもそれだけで命をかけるのか。やっぱりわからない。
※週刊朝日 2015年3月6日号