人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「大江健三郎さん」について。
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春先は、一年でもっとも人が亡くなる季節だという。季節の変わり目であり、新旧交代の時期でもある。
それにしてもこの春は特に目立つ。ついに三月三日には、同年代の大江健三郎さんまで……。
早稲田の大学生だった頃、私たちは芥川賞の噂で盛り上がった。次は開高健か? 大江健三郎か? 私は最初から大江文学のファンだったので、当然期待したが、まず開高健。次回が大江さんの「飼育」だった。当時最年少の受賞だった。
石原慎太郎の「太陽の季節」が社会現象にまでなった後だけに文科系の学生の関心は高かった。大江派と開高派に分かれて論争することもあった。この時の芥川賞は質実ともに最高だったと思う。
以来、大江作品は出版されると同時にほとんど読んでいた。大学で現代詩を専攻していた私にとっては、題名からして大江文学は詩を思わす比喩的言葉とイメージに溢れていた。全作品の中で『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』が好きだ。多くの大江作品の基になっている森の存在。子供の頃育った環境はどの作品にも色濃く、大江文学の核になっている。いつかそこへ行ってみたいと思うようになっていた。
四十年以上前になるのだろうか。愛媛県の内子町へ講演に行くチャンスがあった。かつてろうそくの生産で賑わった豊かな街には、歌舞伎の上演できる古い芝居小屋もある。
教育委員会の仕事だったので思い切って聞いてみた。「大江さんのご実家は遠いのでしょうか?」「町中から一時間くらい細い川に沿ってさかのぼった森の入口に今も母上がお住まいです。ご案内しましょうか?」
渡りに船と翌日、係の人の案内で車に乗り、ひたすら川沿いに進むこと一時間。川がより細くなり山麓の大きな森の入口に着いた。
川沿いの旧家が一目でそれとわかり、前もって連絡しておいたのだろう、母上が出迎えて下さった。私はその頃テレビの仕事が主だったので、顔を見知って下さっているのか、親しげに優しい笑顔でお茶を淹れて下さった。何をお話ししたか、さっぱり憶えていないが、その土地を治める仕事は兄上が継がれたと知った。