今は昔。
福岡の大学のデザイン科を出て東京でアルバイト生活を続けていた緒方修一(おがたしゅういち)は、新潮社のデザインアルバイト募集という広告をみつけ、応募していた。
実技の試験があった。
倉本聰の『北の人名録』という当時よく売れた新潮社の本、その表一のデザインを自分なりにするというものだった。机の上には、ある画家の絵を縮小したもの、タイトル、著者名、出版社名の様々なサイズの写植が版下台紙の横に糊やカッターとともにおかれている。
いったいどうしたらいいんだ? 田舎から出てきたばかりの緒方は途方にくれて、隣ですぐ作業にかかっていた女性の様子を盗み見た。すると彼女は、細いつややかな指でカッターをおさえながら、スッ、スッとその画家の絵をスライス状に切っている。やがて、それをコラージュのように段差をつけて並べ始めた。
東京のデザインをやっている人たちの技量にはかなわんと思った。緒方は、画家の絵を中央におき、その上にセンター揃えで、タイトル、著者名、版元名をならべて、受験生の中でまっさきに提出して、新潮社を出てきてしまった。到底採用されるとは思わなかった。
ところが、大勢うけていたデザイン志望の若者の中で、採用されたのは緒方ひとりだった。
後に出社をすると、こんなことを編集の幹部から言われた。
「歌わないことが大事なんだよ。デザインは」
いろいろといじくりまわす必要はない。その作品とタイトルが強いと思えばシンプルにそれを打ち出すだけでいい、というのがその編集幹部の言葉だった。
こうして新潮社の出版部の中のデザイン担当として様々な雑用をふくむ緒方の生活が始まるのだが、緒方はすぐに社員として登用された。1994年暮れには独立、今では、沢木耕太郎や高山文彦などの作家が指名する押しも押されもせぬ装幀家になった。
先日、緒方が注目する二人の装幀家を招いて、1時間だけ話をするという鼎談の会があったので、そのイベントの前に久しぶりに緒方に会った。