人口が激減し、国力を保つため「外国人労働者」の必要性が叫ばれている日本。しかし、移民政策はタブー視されてきた。小渕恵三内閣では、1999年に大胆な受入れ政策を議論したものの、翌年5月に小渕元首相が亡くなったことで移民の議論は沈静化。それからなぜタブーになってしまったのか。その経緯を日本国際交流センター執行理事・毛受敏浩氏の著書『人口亡国 移民で生まれ変わるニッポン』(朝日新書)より、一部抜粋、再編集し、紹介する。
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■移民1000万人受入れ――福田内閣
自民党内で移民政策が改めて議論されるのは小渕政権から10年近くが経過した2008年、福田康夫総理の時代だ。
第一次安倍政権で幹事長を務めた中川秀直衆議院議員が会長を務めた外国人材交流推進議員連盟がその火付け役となった。この連盟には多くの議員が名前を連ね、2008年6月には移民政策を正面から取り上げた「人材開国! 日本型移民政策の提言」が発表されメディアの注目を集めた。
唐突とも言えるこの提言では、移民庁の設置や永住許可要件の緩和などに加え、今後50年間で1000万人の移民を受入れることを示唆する極めて大胆な提言が示された。
しかし、この「1000万人移民受け入れ」という刺激的なフレーズは痛烈な批判を招いた。なぜなら、人口減少対策として、少子化対策や女性や高齢者の活用について触れず、日本の人口危機の解決には移民受入れが必要との論調は、強引な印象を与えたからだ。
また「1000万人」という数字が独り歩きし、「大量の移民の受入れ」は日本の国のあり方をゆがめるもの、安心・安全な社会を揺るがすものとの批判がとりわけネット上では渦巻いた。
日本は日本人が住む国で、例外的に少数の外国人が生活するといった認識がまだ根強い風潮の中で、50年間とはいえ、いきなり1000万人という強烈な数字は驚きと同時に反発を招く結果となった。この提言は政治的なアドバルーンであり、世論や関係者の反応を見ることも想定されていたのかもしれない。