ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの連載が、「今週のお務め」とリニューアルして始まりました。2回目のテーマは「広末涼子さんの『格』」について。
* * *
もはや私の中では、「さらに格が上がった」としか感じない広末涼子さんですが、いったい世間はどの面下げて、今さら彼女に「一般常識」を求めるのか。不思議でなりません。
芸能からフィクションが消えつつあった平成の世に、突如現れた広末涼子という存在は、常に「清純と穢れの背中合わせ」を女性に求める、ご都合主義なノンケ男たちの儚いスケベ心を、一手に背負うことに。かつて一度でも、広末涼子で下世話な妄想をしたことのある男たちは、今こそ彼女を命懸けで守ってもお釣りがくるぐらいだというのに、まあ見事に何もしない腰抜けっぷり。二言目には「子供が可哀想」と、右へ倣えの正義感でしか物事を判断できない社会に、豊かな未来や文化など生まれるわけがありません。
着古したブルマーやルーズソックスを売って小遣い稼ぎをする一部の女子高生の生態が社会問題になっていた1996年。制服とおぼしきチェックのミニスカートに白いシャツ、ナイキのAir Maxを履いた広末さんが、公園の遊具にもたれながら、上目遣いで「ルールルルルル」と拙い鼻歌を唄う--。そんなポケベルのCMがありました。
それは、世間に浸透しつつあった「汚れた女子高生」のイメージとは真逆の、まさに「理想の10代女子」を完璧に具現化した作品である一方で、当時からすでに、「危うさ」「不安定さ」「奔放さ」といった広末涼子の本質は、ひしひしと伝わってきたものです。女に興味のない私ですら「こんな子にこんな顔されたら大変だろうな」と慄(おのの)くぐらい、明らかに「別格」でした。
「いつか広末みたいな女子に好きと言われたら……」「いつか広末みたいな女子と付き合えたら……」。それだけで男は一生懸命勉強して働いて筋トレのひとつやふたつやってみようという気になれる単純明快な生き物です。広末の登場は、そんな男たちのスケベ心に一瞬にして火を点け、夢見させるほどの衝撃だったように思います。