かくして、瞬く間に時代の象徴のひとりとなった広末涼子さん。化粧もせず制服で走り回り、朝起きたらパジャマのままインスタントスープを飲む。その天然素材感こそが、失われつつあるフィクションやファンタジーの最後の砦として支持をされ、「広末は別格だ」という不文律が確立されていったのです。
世間は、ただただ「天然広末」を放し飼いにし、その人懐っこい傍若無人さを愛でました。
聞いた話では、1997年の歌手デビュー(曲名「MajiでKoiする5秒前」)に際して、歌唱経験がなかったにもかかわらず、広末さんは敢えて歌のレッスンを受けなかったのだとか。周りのオトナたちも徹底して彼女の「天然素材」を守り活かそうとしていたことがよく分かるエピソードです。
やがて広末さんは高校を卒業し、早稲田大学に入学しました。この頃から、昭和30年代生まれのおじ様たちを中心に沸き起こったのが、「広末を平成の吉永小百合に」という幻想です。これは広末さん本人にとっても、かなりしんどいものだったと推察されます。吉永小百合に「理想の恋人像」を見るというのは、昭和的男社会の思考停止の極みでもあります。しかし、これでまた広末涼子の「格」は天井知らずに上がる結果となったのも事実です。
ところが2000年代に入ると、次々に「奇行・プッツンぶり」が報道され、作り上げられた幻想は半ば崩壊し、世間は改めてその「格の違い」を実感することに。
そしてそれを分かり易く実践して見せつけてくれたのが、現夫・キャンドル氏との結婚だったのではないでしょうか。当のキャンドル氏は「彼女が不安定になるのは自分のせい」みたいなことを言っていたようですが、原因と結果の順序が逆です。それは此度のお相手である某シェフにも当てはまります。
かつて映画「おくりびと」の中で、妻役の広末さんが、納棺師を目指すと決めた夫(本木雅弘)に、「触らないで! 穢らわしい!」と叫ぶシーンがありました。これは、広末に対して穢れた幻想を抱く日本中の男たちに向けられたせりふでもあったのかもしれません。